【連載】家族会議『固定観念を覆すむずかしさ』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議14日目#1|固定観念を覆すむずかしさ
――2020年2月5日。家族会議は14回目を迎えた。
この日は、わたしが不在の間に父と母で話した会話の内容を、シェアしてもらうところからはじまった。
父が働いていた時代の辛かった話について、母が詳細を聞きとったらしい。
母:
お母さんが(メモに)書いたのは…。お父さん、付け加えることあったら付け加えて?
父:
はい。
――父が話せばいいだろうに…。母は面倒見が良すぎるし、一番の問題である父は、自分のことなのに人任せである。
母:
お父さんがS社で一番嫌だって言ってた人が、Kさんで、もう1人Tさんで、2人が一番嫌で、Kさんとは15年間ぐらい。S社の窓口だから付き合わざるを得ない人だったと。
で、TさんはKさんの下で働いてる人だけども、その人も感じ悪いことを言うっていうか
わたし:
Kさんの影響を受けて?
父:
ははっ笑
母:
影響を受けっていうかそういう人なんだかわかんないけど。よく言われたのがポケットベルが鳴って、すぐに行くんだけども、それでも「現場に来るのが遅い」って。しょっちゅうそれは言われたと。
で、お父さんとしては、もうこれ以上早く来るんだったらパトカーで先導してもらわないと来れないって。言ったら、「そんなはずはない。来れる」とか言われたんだって。
――KさんとTさんは、父が新聞の死亡欄をチェックしてしまうほど恨んでいる人物だ。
父はS社を担当する支店に配属されてから、トラブルが起きるとポケベルで呼び出されては駆けつけるという生活を送っていた時代がある。
Kさんは、父が駆け付けた時間をチェックしては、嫌味を言ってきたらしい。
わたし:
Kさんが待たされたとかじゃなくって、自分が後から来ても時間チェックするんだ?
父:
うん。
わたし:
意地悪だね。
母:
鉄鋼は、ラインを止めたくない。だけどお父さんがやってきた電力は、止めてもいいから原因を究明しなさいっていうところだったんだって。
そういう風土の違いにお父さんがなかなか馴染めない。のもあった。
あとはお父さんは、鉄鋼を知らない。なんかお父さんには、得意なコンピュータっていうのがあるんだって。電力ではそれをやってたんだけど、鉄鋼にはそのコンピュータは1台も入ってないんだって。
さらにやり方も違うし、鉄鋼自体も知らないし、それが向こうはわかってて馬鹿にしてたと。
あとはお父さんが言ったんだけど、「何でも抱え込む俺も悪いんだけどね」っていうことは言ってましたね。あとできないことは「できない」と、自分で会社に言ってもいいんだけど、上に上がれなくなる(昇級しなくなる)っていうのがあって。だから、とにかく仕事を一生懸命するみたいなことでお父さんはやってきたと。
今は、Kさんの顔も見たくない。見下されてた感じとか…。
わたし:
うんうん。
母:
もうこの2人を抹殺したいって言ってた。
お父さんとしては出世的にはどうだったの?って聞いたら、「まあまあ、自分が思うところまでは行けたかなって思ってるよ」って。
わたし:
会社にはそれなりに評価してもらえたってことなんだね。その頑張りを。
父:
うん。
母:
だけどその代償は、大きいなと思ってると。そんなことを言ってました。
で仕事の話はその辺で。お父さんがそのあと、「自分は今、相手の立場に立って考えることを心がけようとしているよ」って。今現在。こういう話をするときも、普段も。そうしてるっていう話になったんだよね。
父:
うん。
母:
でわたしは話を聞いて、「胸が苦しくなった」ってことをお父さんに言ったんだけど。
――長年電力のSEだった父は、上司に頼まれ、数年の約束でS社を担当する鹿島支店に行くことになった。
地元(仙台)の支店に行くことを希望していた父に寄り道をさせた上司は、その後亡くなってしまう。そこで計画がくるったのだと、父は言う。
母:
あと話が前後するけど、お父さんが(大阪支店を)転勤したあとの担当の人が、2年くらいで「私にはこの仕事はできません」って言って、別な方に行ったんだって。でも「そういうことは俺にはできなかった」って。
S社で苦しい思いしてるんだったら、辞めるってこともできたかもしれないけど、それができなかった。って。
鹿島で働いてたときは槍が刺さったような状態で働いてた感じで、「働くことができない」って言えればよかったかもしれないけど、プライドが許さなかったな。自分としては。って。
で(話の)最後にお父さんが、「嫌なこと思い出して、ちょっとつらいなっていうのが半分。少しはわかってくれたかなっていうのが半分。話ができてよかったなっていうほど生やさしいものではないな。」っていう、話し終わったときの気分をお父さんが言ってた。
でも今日の昼間は、「あの話ができてよかった」っていう気持ちもあるとは言ってたけど。
父:
まだ昨日喋ってないことが20%くらいあるんだけど。80%の話を言ってたわけね。今ね。80%の話言ったらもう、お父さんの満足度はもう100点。十分満足してる。
わたし:
すごい変化していくね。お父さんの気持ちって。
父:
うん、今お母さんが言ったのでちょっと漏れてんのがね、大阪ね。
俺のあとに、Sっていうのがセンター長やったんだけど、この人間が2年ぐらいで「私にはできませんから降ります」と、いうことを言って。
そのときにね、せっかくみんなお前を持ち上げてここまで来たのに、そんな「できません」ってよく言えるなと。あなたをここまで上げるために尽力した人居るだろうと。その人に泥ぬることになるやろ。っていう感覚はお父さんも持ってた。その頃は。
わたし:
うん。
父:
だけど今回話してみてて、自分が鹿島に来てこんなつらい思いしてて、なんで自分は降りますって言えなかったのかなと。
だからSと今の俺比べてみたら、なんかえらい差があるなと。そのころは見下してたんだけど。今、見上げるような人だなと。そういう行動を取れたっていうことに関してね。
だからそのSと話してみたいなと。そこに気がついたというのも今、こういう話したから気がついたんでね、本当気がついたということが大きいんだよ俺にとって。お父さんから100点になるわけ。
わたし:
100点とかじゃなくていいんじゃないかなと思っちゃうけど。
父:
なんでもいいんだけど。俺にとって大きいって。点数で言ったほうがわかりやすいのかなと思ってさ。
わたし:
なんかオールOKみたいになっちゃうからさ。笑
すごい大きい発見したっていうのは、朝聞いてもすごい伝わってきところだけど。だからってさ、嫌な気持ちは嫌な気持ちであるわけだし
父:
うん、本当に槍がね、刺さってるような感じで毎日仕事してたな。だから槍がこれ以上刺さらないように、防御しながらやってるって感じだった。
- 今日はここまで -
心身ともにボロボロになりながら働いたという父。それは本当に、お疲れさまと言いたい。
父のおかげで家族が路頭に迷うことなく生活できた。それは紛れのない事実だ。
けど一方で、そういう働き方を美徳とする固定観念にとらわれ、その生き方に固執したとも言える。
その結果、ストレスを家族にぶつけ、家族の心を壊してきたのだ。
もう、そうなってしまったものは仕方がないけど。
今回の会話で、見下していたSさんが、実は敬うべき人だったと。父はしみじみと語った。
視野が広がった。そんな瞬間だったと思う。
だけど、安心してはいけない。
固定観念は形状記憶されているのである。
この会話から4年経った今、価値観はそう簡単には変わらないということを、父が証明してくれている。
<次回に続く>
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