いつもの道を左に行っておみくじを引く
心に人生をゆだねている。
もちろん思考も働かせるけど。
さぼりがちだったウォーキングを再開することにした。
これは身体のためだけど。
ひとつのことをやるのにいちいち腰が重たいわたし。だけど、外に出てみれば気分はコロっと上向きになる。
今の季節は風が心地いい。ヒヤッとしてなくて、肌あたりがやわらかい。
ぬるめの温泉につかっているみたいに、肌の表面からじんわりほぐれていくような感覚だ。
道行くさきの家の庭には、色とりどりに花が咲いている。
芸術的なほどに作り込まれたお庭を見ると「わが家は幸せです」と主張しているようだ。
ガーデニングをしている人は、きっと心に余裕があるんだろうな。というのはわたしの偏見かも。わが家にもたくさんお花が咲いているし。
庭先にバスケットゴールが置いてあるお家もある。
子どもがバスケットをやっているんだろうな。これはそう間違っていないイメージのはず。
子どものやりたいことを全力で応援しているんだろうな。バスケットゴールにそれを想像してしまうのは、「家族とはそうあるべき」という幸せのイメージかもしれない。
そういえば「バスケをやると背が高くなる」って誰かが言ってた気がする。
それでわたしも小学生、中学生とバスケットをやっていた。背は150cmより伸びることはなかったけど。成長したのは太ももの筋肉だけというのが現実…。
「バスケで背が伸びるんじゃなくて、背が高い人がバスケをやると有利って話だよね、これ。」
歩きながら自分の純真さを懐かしんでいた。
ここ最近、家族のことで波立っていたわたしの心も静かになってきていた。
毎日の日課にしていたウォーキングとヨガをさぼり始めて2ヶ月くらい経つ。
もともと怠惰なわたしは、何かを続けることに心の状態がとても影響する。心に嵐が吹きはじめると、すべての思考が心に持っていかれてしまうのだ。
ヨーガ・スートラ(ヨガの経典)には、こう記されている。
日々のヨガで心を落ち着かせてきたつもりだったのになー。
まだまだ修業が足りないってことかー。
心が「家族の問題」にあっという間に占領されてしまったとき、なんだか自分にガッカリしてしまった。
あ~あって。
心に思考が持ってかれても、自分の分析だけはできるところがわたしっぽい。
そんなときは仕方がない。心に人生をゆだねる。
そういうときに思考が主導権を握ろうとすると、たいてい上手くいかない。思考して論理的に「こうするべきだ!」と考えて行動すると、余計に心が暴れ出す。
「今はわたしのことだけ考えて!」と、わがままな彼女みたいなことを言う。
だから心が満足するまで徹底的に付き合うしかない。
そうしているうちに満足するらしい。
「もういいよ。それよりあなた、仕事は大丈夫なの?」とか言い出す。
突然視野が広くなって、わたしを心配しだすのだ。心ってツンデレ。
本来ヨガで心と体の状態を整えるわけだけど、整える手前でくすぶるのがわたしだ。ヨガをやるにも心の状態が左右する。
それでも『ヨーガ・スートラ』は読んでいた。行き詰ったときにパラパラページをめくると、何かしらヒントを与えてくれる。
すんなり理解できないところが大半ではあるけど、じっくり読み込んでいくと「あ、そういうことか」って突然腹落ちしたりする。
ヨガ哲学は取っつきづらい部分もあるけど、比較的日本人の思考に馴染みやすいと思う。仏教のルーツだし。
心が安定してくれば「よし、ウォーキング再開するぞ!」という気持ちにもなる。今まで同じ道を歩いていたけど、今日はふと右に曲がるはずの道を左に行ってみたくなった。
思考に従ってくれたからご褒美だ。
その道を左に行くと、古い古いお寺がある。
すっごい近いのに、実は一度もいったことがなかった『佐竹寺』。国指定重要文化財だ。
こじんまりしているけど本堂は重厚感たっぷり。道路沿いで敷地も広くないのに、入った瞬間空気が変わった。今にも崩れそうな茅葺の屋根には圧倒されてしまう。(引用写真よりも痛みが激しい)
時代が刻まれている。という表現こそチープかもしれない。でも470年、どしっと腰を据えてそこに存在し続けた価値が、確かにそこにあった。
現状を写真で伝えたいところだけど、入口に大きく「撮影禁止」と書かれている。撮影者によって不快な思いをされたことがあるのかも。
でも確かに、実際に見ればこそ価値を感じ取れるのが佐竹寺なので、竜神峡でバンジージャンプでもした帰りに立ち寄ってみてほしい。
佐竹寺は今、損傷の激しい茅葺の修復のための支援を募っている。総工事費用は1億8百万円だそうだ。茅葺の技術者も減っているというし、維持していくのも大変なのだろう。
今ならクラウドファウンディングもありなんじゃないかと思うけど…。余計なお世話かな。今日は手持ちの百円でおみくじを引いて支援の代わりとした。
おみくじの結果は「小吉」
いいじゃん!
やりたいことをやりたいモードのわたしにはありがたいお言葉。
「身を慎んで勉強すれば」の戒めもしっかり胸に刻んでおこう。