【連載】家族会議『親にしかできないこと』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議23回目#2|親にしかできないこと
――この日の家族会議は、「姉の気持ちをわかること」とテーマに話し合っている。とくに幼少期の。
母は今まで、自分の立場から姉の気持ちを考えていた。
だけど初めて、「姉の立場に立って気持ちを考えてみる」イメージを持てたという。姉に憑依するかのようにして姉側から見た自分は、無表情で無感情で温かみもない、人間らしくない姿だったらしい。
わたし:
お母さんは、自分のことはそう見えたとしてさ、お父さんも見れる?
母:
お父さんの中に自分が入ってって?
わたし:
違う違う。ここ(お姉ちゃん)の立場から、お父さんっていうか、夫婦はどう見えてた?
母:
そこまでイメージしてなかったけど‥‥。
今すぐ思うとしたら、同じような感じかな。同じような2人が立ってる感じかな。‥‥相当だね。
わたし:
うん。だとしたら、愛にあふれる家庭になるわけはない。って感じだよね。
母:
何か言ったって、人の形してるだけだからなんか、聞こえないっていうか
わたし:
届かないって感じかな。
言ってもわかってもらえないっていうのも近いよね。届かない。響かない。跳ね返っても来なければ、受け止めてももらえない。
母:
ものに向かって喋ってるようなことだもんね。
わたし:
お母さんもお父さんにさ、「気持ちが通じたい」みたいなこと言ってたじゃん?それも近い気持ちなのかなって思うんだけど。
母:
そっか。よく感じてみるわ。‥‥確かに寂しい。虚しい。
わたし:
寂しくて虚しいよね。
母:
お姉ちゃんなんてそれ以上だよな。子供だよ?
わたし:
そうなんだよね。
母:
だってこの人(親)たちはさ、何とかできるよね。何とかっていうのは例えば離婚するとかできるわけじゃん。
わたし:
そうだね。それに、大人の状態からそれ(結婚)が始まって。付き合いが始まって。お見合いだったかもしれないけど、自分たちである程度選択はしてるわけじゃん?
母:
そうだね。もちろん
わたし:
だから夫婦の気持ちが通じ合わないことに関しては、自分たちに責任があるけど、子供は一切親を選べないわけだから。何の責任もない。のに、それだけ寂しくてつらい思いをさせられてたっていうこと。
かといって、この家嫌だからって出てくこともできない。別れることもできない。そんな力もない。
牢獄みたいな感じだよね。濡れ衣着せられて、牢屋に入れられた人みたいな感じかな。例えて言うなら。
食事だけは与えてもらえて、生かされてる。生かされてるけど、自分の訴えは通らないし、いわれのない罪で、その中に入れられたまま逃げられない。誰も自分の言うことには耳を貸してくれないみたいな。に、近いかな?
わかりやすく言うとね。1人で頼る人もいない‥‥
母:
何でって感じだよね。理由もわからない。
わたし:
理不尽な思いをずっとしていたって感じかな。
母:
自分が確実に悪いことしたなら納得もするけど、虚しいよね‥‥虚しいっていうか、暴れたくなるよね。
わたし:
なんでここに居るんだろうって。
母:
なんでなんで‥‥?
わたし:
なんで私ここに居なきゃいけないの?って。いう気持ちかな。
っていうとわかりやすいかな?
母:
無視‥‥気持ち無視ってことだよね。
わたし:
そうだね、無視
母:
だって食べ物や最低限のものは何だろう。
わたし:
義務だけは果たされてるけど、心を通わせてもらえることもなければ、気持ちをわかってもらうことも、訴えを聞いてもらえることもない。生きてる気がしない。よね
母:
そうだよね‥‥
― 今日はここまで ―
「親」が「子供を養う」のは、社会に与えられた義務。
子供の養育費用を出し、食べさせ命を守るというのは、社会から見た「親」という役職の義務を果たしているだけだろう。
もちろん、その義務を果たせない人もいるのだから、与えられた義務をきちんと果たすだけでも立派だ。
でもそれは、対外的に親として認められるだけに過ぎない。
極論をいえば、お金を出して食事をさせるのは、親じゃなくてもできる。
親が子供にとっての親であるためには、親にしかできないことをする必要があるだろう。対内的な親の役目を果たさなければ、それは子供にとって親ではない。ただ、養ってくれる人でしかない。
親にしかできないこと。
親だからできること。
それは、大まかにいって「愛」で、細かくいっても「愛」だと思う。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!