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【連載】家族会議『言葉のあやにひそむ明確な意図』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。

家族会議20回目#2|言葉のあやにひそむ明確な意図

――この日は、家族会議3回目の録音の振り返った中で気になったことを、母が父に質問している。



お父さん、さっき言ってたので、豚をやったとき(実家で養豚業をやったとき)、「餌代ばっかりかかってあんまり儲からないんだなと思った」って言ったじゃん。


思ったっていうか、誰かが言ってんだよそれ。


誰かが言ってたの?家族の誰かが。


俺はそこまで厳密に計算してわかってるわけではないわ。


何歳ぐらいのときだったのか、お父さんそこまでわかったのかなと思って。


単純に考えればわかるけどね。


いやほら、子供だとそんな話もわからないじゃん?いくらで売れたのかとか。


――これまで父が、親がやっていた養豚業について「儲かるわけないと思ってたんだ」のような発言をしてきたから、母はそれが気になっていた。

小学生の子供が当時、そんなことまでわかって考えていたの?本当は、大人になって思ったことなんじゃないの?と。

母の質問にすかさず「誰かが言ってたんだ」と弁解したけど、父はこういう、事実に基づいたフィクションを語るから、違和感があるのだ。



でもなんかね、俺、大人の中に入ってたな話よく。大人の話聞こえるわ。近所のおばちゃんとお茶飲んでるくらいだから。

わたし
そうなの?


言ってたね。母親も誰もいないときに近所の人が来て、「いないよ」って言って、帰るかと思えば帰らずにいるから、お父さんがお茶を出してその人と喋ってたって。

わたし
ふうん。そうなんだ。


何歳ぐらいの頃だろう。小学生?


小学校から中学校。


近所の人だから、いつもお袋はお茶出してるから出さなきゃみたいな感じで


見よう見まねで


漬物とかも出したの?


そう。


そうだって。笑

わたし
すごいね。おばあちゃんのかわりにやったんだね。


――まるで近所のおばさんとしょっちゅうお茶飲みながら会話していたかのようだけど、そういうときがあったという話だ。これもちょっと、「大人とよく話していた子供だった」としてしまうのは無理がある。


― 今日はここまで ―


子供のころは、よく親と行動をともにする。

自然と大人の輪の中で、話を聞くことにもなる。そんな体験は、多くの子供がしていることだろう。

そこで聞いた言葉の断片が頭の片隅に残り、それがふとしたときに「ああ、そういうことか!」「そういう意味だったのか」と思うことはよくある。

もちろん、一部の秀才は大人の会話の意味を理解して、その場で自分の考えを展開したりもするだろうけど。


だけど父の場合は、大人になってわかったことを、当時思っていたかのように話す。だから、そこに違和感が生まれてしまう。


母もわたしも、そこは正しく知りたい。

だって、ちょっとした違いかもしれなくても、そのちょっとした違いで印象は大きく変わってしまうから。


ありのままの事実ではなく、ちょっとした変化を加えて創作の話をするのも、そこには意図がある。印象を操作したいという意図が。

「言葉のあや」なんかではなく、そこには明確な意図があるのだ。


たとえそんな意図がなかったとしても、そこに、正しく伝えようという誠実さはない。

<次回に続く>


これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!


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心乃泉
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