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【連載】家族会議『どうしようもないけど憎めない人』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議20回目#3|どうしようもないけど憎めない人
――この日は、家族会議3回目の録音の振り返った中で気になったことを、母が父に質問している。
母:
あと私がわからないだけなんだけど、高校に行かせてくれたことが、お父さんにとってものすごく大事なことだったってことが、あんまりよくわかってないな私。そんなにいうくらい大事だったんだねっていうのが。
――父が中学生のとき、家に赤紙が貼られたという出来事があった。それで父は、中卒で就職することになるかもしれなかった。
だけどそこで、父親が「高校に行け」と言ってくれたことで、なんとか高校に進学することができたという。
そのことがあって、父は「親父には感謝しかない」と、何度もこの話をしている。
父:
そのときは俺もわかってなかったよ。あとになってじわーっとわかってきたよ本当に。
わたし:
そうなんだ。そのときに思ってた話だと思って聞いてたよ今まで。
父:
いや、そのときも行きたいっていう願望はあったけども。なんていうの、みんなが行くから行くって感じで、どれほどなものかっていうのは、そんなにわかってなかったな。それはやっぱり社会に出てからだわ。
わたし:
そっか。中卒と高卒ではだいぶ違っただろうからね。
母:
上には大卒もいるしね。あと聞いてて、お義父さんは育ちがいいんだね。きっと。苦労してないって言ったらいいのか
父:
悪くはなさそうだな。
わたし:
おじいちゃんが武家の出っていう人だよね?
父:
うん。だと思う。
母:
でも武士って、明治までだからね。
だからお義父さんが生まれたのって明治の頃だから、育つ頃までに名残は残ってたかもね。武士は廃止されたけども。
お義父さんの親っていうのは先生だったの?
父:
親父の親?何やってたんだろうね。まったくわかってない俺。なにで食ってたんだろうね。
母:
昔だから農家プラス先生もっていうか。なんか結構先生の人もいるよね?
父:
‥‥
母:
本当にあんまり付き合いはなかったんだね。
父:
親父もなんか‥‥。うちの親父の親な。お父さんは、絵描きしてたとかいう
母:
あ!なんか言ってたね。絵描いて、全国放浪して歩いたとか。うちにいなかったとか。そうだそうだ。そんなこと言ってたね。
なんだろう。血筋的に
わたし:
自由人だったのね?
母:
自由、血筋的にあまり苦労せず趣味を‥‥
父:
寅さんだ。寅さん。笑
母:
それに対して、その後からは、趣味なしの子供たちになったとか?それが反面教師みたいになっちゃってたのかな?
――父があまり、趣味のない人なのである。何かに興味を持っても、1回やって飽きてしまう。そんな人だ。
何かに夢中になってワクワクするような、そんな姿を見たことがない。
わたし:
でもおじいちゃんは趣味が多い人だよね?釣りとか習字とかさ。
そういう自由人って、いいなとは思うけど、自由なだけじゃ生きて行けない部分もあるからね。バランスは悪い。自由は自由で。
でも働くだけ働くだけっていうのもさ、気持ちの面でバランス崩すんだよね。
父:
絵をやってたとして、成り立たなくなって実家に戻ってきたんだろうから、その後何してたんだろうな?
母:
問題はあったんだ。それなりに
父:
あるでしょ。
母:
お義父さんの兄弟仲が悪いとかって言うくらいだし、何かあったんでしょうね。だからお義父さんは実家にあまり帰らなかったということでもあるんでしょう?
父:
実家に帰らないどころか、泊ってないんじゃないか?どこに行っても。
母:
どこに行っても?自宅に帰ってきたってこと?
父:
必ず帰ってきてんじゃないかな
わたし:
ふうん。それはなんで?
父:
わかんないけど、お袋がなんかそんなこと言ってんの、記憶にあるな。
わたし:
「泊ってくれればいいのに」とか?
父:
「泊ってくればいいのに帰ってくんだから」とかって。笑
わたし:
内弁慶だから休まらないのかな。
母:
気遣っちゃうから家に帰った方がいいって感じ?
――話は変わる。
わたし:
おじいちゃんは料理とか全然やらない人だったの?
父:
やらないね。親父はね、生活に関わるものっていうのはやらないな。
畑にしてもさ、基本的に大根とかさ、生活に関わるものじゃん?畑に親父行ってるけど、そういうのやったの見たことないな。イチゴとかね、メロンとかさ、どうでもいいようなやつに一生懸命力入れるんだ。笑
母:
普通の野菜はおばあちゃんがやってたの?
父:
だな。ネギとか。
生活の基本野菜。そういうのは親父はやらないんだよ。自分にとって楽しいやつをやるんだわ。
わたし:
成功すればね、よかったんだろうけど。他の人とはちょっと違うことをやるわけだから。あれなのかな商売センスとか、いろいろ足りなかったのかな。
母:
研究するのが好きだったのかな。
わたし:
発想はいいんだけど、それをうまくお金に繋げられなかった。
母:
いつかはそうしたかったのかな。
わたし:
ますますわたし、おじいちゃんの血を引いてる気がしてきた。すごい気持ちわかる。
――母が父と結婚したときには、もう亡くなっていた祖父。だから父方の祖父のことは、父から聞いた話で想像するだけだ。
これまで祖父は、家でよく怒鳴る人であり、次々に新事業に手を付けては失敗し、借金を作って家を生活苦にした人。という話を主に聞いてきた。
どうしようもない人。
それが祖父だった。
だけどこうして詳しく話を聞けば聞くほど、どこか憎めない気持ちになる。
それどころか、わたしは祖父に似ていて親近感すら湧いてくる。
― 今日はここまで ―
父が父親の話をするときは、たいてい「感謝しかない」という言葉が基本になる。そこに違和感があって聞いてみると、「怒鳴るわ借金作るわで困らされた」というような話がでてくる。
つまり本当は、父親のことを「どうしようもない人」と見下していたのだと思う。
だけど、父親は敬うものだという世間体と、そういう姿を見せなければ自分も馬鹿にされる可能性があるという都合の悪さから、「感謝しかない」と敬う姿勢を見せるのだ。
だけどわたしには、これの全部に違和感がある。
父は本当は、どうしようもない父親のことが好きで、自由奔放な父に憧れていたんじゃないか。と思っている。
だって、父の本質は祖父そのものだから。
父はどうしようもない人である。
だけど、どうしようもない人にはなりたくない。
それはプライドが許さないし、どうしようもない人になったら母親に嫌われる。
だから偽りの自分を演じてきた。
本当は、親父のように好き勝手に生きたいのに。
わたしは、この歪みが、自己愛性パーソナリティ障害につながっていると思えてならない。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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