【連載】家族会議『「言わない」のか「言えない」のか』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議25回目#9|「言わない」のか「言えない」のか
――父は、「自己中」「人の気持ちを考えない」のが小さいころからあるという。悪びれもなくだけど。
そこから話は、「自己中について」になった。
父:
どこからここまで来たんだっけ?どの話から
わたし:
自己中心的。
父:
自己中ね。
わたし:
人の気持ちを考えないっていうところが小さい頃からあったなっていう。
母:
なんか自己中だなって、お父さんが自分のことを思ったのは、今振り返ってみるとっていうこと?
父:
そう。そのときなんてわかんないよんなもん。ただ、何々をよくしようとかさ、なんかやると、そっちの方ばっかりだから。
――「何々をよくしよう」とは、「全体のことを考えて意見を言わない」という話だったのだけど‥‥。
母:
何かエピソードみたいなのあるの?
父:
火の用心だってそうだよ。火の用心だって、結果悪くなったけども、自分の意見を押し殺して、皆さんの意見を一応聞いて、だけど意見が俺と合わなかったから火の用心は終わりになったよと。
――「火の用心」とは、父が子供の頃、子供たちが歩いて火の用心の呼びかけを行っていたという話だ。父がそのリーダーを務めていたころ、火の用心を辞めることになったらしい。
母:
お父さん自分の意見は押し殺して、みんなの意見を聞いたの?みんなの意見ってなんだったの?
父:
辞めたいと。
母:
みんな辞めたいって。お父さんは?
父:
続けたい。ただ続けたいというのは、今思えば、なんていうの自分のためなんだろう。脈々と火の用心をやってきたわけな。なんで俺の世代で俺が切らなきゃいけないんだって。やめなきゃいけないんだ。せめて辞めるなら次の人に辞めてほしいと。いうのがあったのも事実。ただそれは言わないで
母:
じゃあ賛成多数みたいな感じで。
父:
そうそうそう。そういうの結構あるわ。
母:
それが今思い出すと自己中だったなって?
父:
うん。
わたし:
自己中じゃないよね。言ってないだもん。自己中な人って
父:
考え方が自己中だって。
わたし:
考え方がね。わたしだったらその場で意見を全部言う。って感じかな。
父:
だから、小さい頃から押し殺す性格っていうか、そういうやり方がずっとできているよね。
わたし:
自己中なのに気持ちは押し殺しちゃう。すごい苦しいよね。
自己中の人は自己中心的に、周りも巻き込みたい人なわけなのに、そこに、それこそ性格的な。それこそDNA?なんか押し殺しちゃう。言えない内気な性格というか?そういうのが合わさって、自己中心的すら上手に発揮できないみたいな。
母:
頭の思考回路は自己中なんだけど、それを出さない。それだったら私そのものだわ。
わたし:
私です?笑
父:
こういうのがセットになって大丈夫かいね。笑
母:
セットってお父さんと私?大丈夫?大丈夫なの今?ずっと危なかったんじゃない?笑
でもあれだね。多数決だったら、お父さんはそこで俺は続けたい。他のみんなは辞めたい。結局多数決で辞めることになったとしても、そこでお父さん言ってもよかったんだろうけど、それは言わないっていうのは何だっけ?どういう気持ちなんだっけ?みんなと意見違うことを言うのは嫌だみたいな。
父:
そこでなんで言わなかったのかわかんないけど、多数決とってやってみようか。すと辞めるが強かったよと。じゃ辞めましょうと。
――父がそこでなぜ何も言わなかったのかと言えば、意見をまとめようとしたわけでも、トータルに考えたからでも、みんなの意見を尊重したかったわけでもない。
自己中の父がここでなにを考えているかと言えば、「自分の責任にならない方法は何か?」だ。
父が自分で言っているように、「自分の代で火の用心を辞めるのは自分の責任になりそうだから続けたかった」だけであって、火の用心をやるかやらないかはどっちでもよかったのだろう。
自分の責任にさえならなければいいから意見を言わなかった。そこが自己中なのだけど、父はそうとは自覚していないだろう。
母:
私もなんか、みんなと違う意見ってなかなか言えない。私もじゃないな、お父さんは違ってたかもしれないけど、私もみんなと違う意見ってなかなか言えないな。結局みんなのようになったとしても。そういう性格だな。
わたし:
わたしも子供の頃はそうだった。お父さんとお母さんの子供だからね。
母:
親を見てたらわかるもんね。「こんなとこでは言わないのか」みたいなね。「誰もいないときは言ってんのに」みたいな。泉やお姉ちゃんの前では言ってんのに、「大勢の前では言わないんだお父さんお母さん」って。自然と学ぶよね。
わたし:
そうねぇ。
― 家族会議25回目おわり ―
自分の意見を言わないのも言えないのも、自由。
だけど、言わないのは意図的であって、言えないのは性格的な問題だろう。
父は「言わない」傾向が強く、わたしや母は性格的に「言えない」というのが強い。
意図的に意見を「言わない」父は、「言わない」ことによって自分の利益を得ようとしている。「責任を負わなくていい」という利益だったり、「批判を受けない」だったり「嫌われない」だったり。
一方の「言えない」わたしは、意見を言わなかったのだから、思い通りにならなかったとしても文句を言える立場にないことは理解している。悔しかったり納得いかなかったりしても、「言ってないしな」となる。
だからわたしは言うようになった。意見を。
堂々と言えるときもあれば、おそるおそるのときもあるけど、とにかく、自分に貫きたい芯があるときは勇気を出して言葉を発してきた。
それによって人と衝突することも多々あったけど、影で文句を言うだけの自分にはなりたくなかった。
逆に、影で文句を言っている自分を見つけたら、卑怯な自分が恥ずかしくなり、相手にもきちんと伝える。そんなルールを自分に課していた。
もちろん、言葉は選ぶし、相手が意見を「言えない」人なら一方的な押し付けにならないように気を配る。
そんなわたしにとって、一番厄介なのが「言わない」タイプの人である。意図的に言わない人は、自分の利益しか考えていないから、向かい合って話していても、気持ちは向かい合っていない。お互いに違う目的で話しているのだから、話し合いにもならない。
父との家族会議が、まさにこれだったのである。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!