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【連載】家族会議『父の物語り』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。
家族会議30回目#1|父の物語り
2020年3月28日。家族会議30回目は、前回から2週間ほど空いた。
母が帯状疱疹になってしまったからである。
28回目の家族会議で父は、「子供の頃のことを自分なりにまとめたいから時間がほしい」と言い、家族会議への参加を中断した。
そんなこんなで再開した久しぶりの家族会議は、父がまとめた年表を解説することから始まった。
父:
これの見方として、ここが幼少時代。その次が、事象というか事例というかね。そのときに、私の感情を書いたと。その次が、感情からどういう行動を起こしたのかということ。
それで幼少期の自分というのは、どんな考えを持ってたのかなと。最終的には、そういった和義少年に対して、今の私が近寄った場合にどう感じるのか。どういう言葉をかけたいのかというのをまとめてみたと。いう作り方をしてみました。
まず幼少期前半。小さい頃から小学校中期つまり3年生くらいまでの事例なんですけども、とにかくこの期間は、突然怒られたと。怒りっぽい父だったなと。いうことで父親に対する感情というのが、怖い人だと。逆らえない人。従う人だと。
で怖い人っていうことに対しての私の行動。怒られないようにしなきゃいかんなと。怒られるの嫌だから。でどういうことをやったかというと、勉強でとにかく一番取れば怒られないんじゃないかということで、勉強は頑張ったよと。
で逆らえない人っていうことに対しては、父を気にして、距離をとったと。近くにいると、とにかく怒られそうな気がするんで、距離を取ってたような気がするなと。で、常に父を気にしていたと。
それから従う人に関しては、父の言うことは何でも聞くよと。怖い人には従順だったなと。
客観的に見ると一番(怖い人に対する行動)だけが、(自分を)褒めてやりたいなと。いう感情を、客観的な見方できるんだけど。あとは全部かわいそうだなと。いうことですね。
これらをまとめると、本当に怖かったと。対面すると、緊張してたなと常に。で言うことは何でも従って、これを怒られたくないための、認められたいと。
こう言った行動というのはやっぱり、今思えばかわいそうだねと。コミュニケーションはほとんどない。指示のみだと。ここから従順。従う。評価を気にする。これもまたかわいそうだなというのが、幼少期の深掘りした感じですね。
で次に、小学校後期から大体中学校、3年かな。この短期間でバタバタと私にとって大きな事例が、立て続けに起きたよと。まず(親父が)保証人で失敗して、これに関しては本当に人がいいんだなと。何で人がいいんだと思ったら、保証人になった人が、遠くから歩いてきたんだ。この人も金なくて歩いてきたんだろうと思うんだけど。で夫婦で歩いてきたのかな。で家に何日間か泊ってた。そういうことまでして、保証人になって、赤字作っちゃって、本当に人がいいんだなっていうのは、小さいながらにも思ったね。
一方ではね、やっぱりこの人から吹き込まれたのかもしれないけれども、親父も夢を見さしてもらったと思うんですよ。親父が、この事業に対する夢を語ってたのを聞いてて、私自身も、夢を見させてもらったなと。要するに現状から打破して、新しい土地に行って工場を作って云々っていう話があったんで、そっちの方に行ったら環境変わって今度どんな学校に入るんだろうかとか、いろいろ私も勝手な夢を見て、夢の想像というのが本当に楽しかったですね。
一方では小学校6年で責任とお金というものを、感じたのも事実です。夢の楽しさも感じたのも事実。
ここで客観的に見ると、短い間、楽しい夢だったねと。この保証人で失敗云々っていうのは、半年間くらいの間なのかな。こういうことが起きたのは。2番目は、1番が失敗したんで、親父が、意図はわかんないんだけど、それの挽回か何かで、こういうことをやったのかな。養豚事業で、私はまたこれ無謀だという感じもあったんだけど。だけど一方ではね、今度の夢は成功してほしいと感じたと。この夢に関しては、私もつらいけれども一緒に親父と働いたと。夢に向かってやるっていうのは失敗したんだけども、やっぱ夢っちゅうのはいいんだね。というのはこの辺、かなり感じてましたね。
で、この養豚事業を始めたときには、青年団がうちに来て、養豚とはどうあるべきかなんていう話を、うちの親父とその青年団が話したのは、よく聞いたし、夢があっていいななんて、端っこの方で聞いてたけども。そういうことをやってたんで成功するだろうと思ってたけども、所詮計画が無謀だったんで、失敗に終わって、親父はそのまま養鶏事業を始めたんです。
この養鶏も養豚よりはマシだけども、結構赤字を作った要因になってんじゃないですかね。豚と鳥。で、次に出てきたのが、赤紙ね。これは私一番ショックでね。本当に絶句。不安でいっぱいだったね、
これ何回も見直したんだけど、これ(赤紙)がやっぱり頂点なんだね。俺の心の中の。ほんっとに不安でいっぱいで、家族を不安にさせるっていうのどいうこっちゃと思ってね。この辺から私の大企業志向が生まれてるんじゃないかなと。路頭に迷うのは嫌だよねということで。完璧に大企業志向が生まれてますね。
同じ兄弟でも、信義なんかは大企業じゃないんだけども、今考えればどっちでもいいのかなと思うんだけど、このときはもう、本当に大企業志向だったね。潰れないようなところに行かなきゃいかんと。その直後から、父の病気が始まって、一瞬っていうかほっとしたんですね。
要するに父が無茶をしなくなるんだろうなと思ってこの病気でね。そういう面でほっとしたと。この辺からちょっと親父との会話が生まれた感じがするんですね。
病床の枕元で、将来の私に関する話をしたり。このときは、私自身は嬉しいんですけれども、親父は何かいろいろと苦しそうな感じだったね。
次に、中三のときなんだけど、これだけは何度も皆さんにも説明しましたけど、感謝感謝と。父親の威厳を感じたと。このときは本当に感じましたね。
ここからですよ、合格するための勉強を初めて始めて。それまでは、就職すると本人私自身も思ってたから。あまり勉強もしてなかった。だけど、工業に入れるっていうことがはっきりしたんで本気になって勉強したの覚えてます。
それから農業の跡継ぎというのは、これをどこまで説明してたかわかんないけども高校3年生の頃だね。親父から「跡継ぎしてくれないか」と。これに関しては本当に、今更お断りだという感じで、このときはお断りしたけどね。だけどやっぱり近くで見守っておきたいんで、親父を見てみようということで近くに就職したんです。あえて。
それでやっぱり苦しそうなんで、私の給料1万2000円のうちの3000円を毎月うちに送付して、これじゃ足りんだろうということで、信義(兄)にも手紙書いて、俺3000やっているから、あなたも3000円くらい援助してくれないかと。言ったけども、何か意思が通じなかったみたいで、私1人で3000円の仕送りをしましたですね。
だけど、親父の言うことを「やだよ」って言って、きっぱり断ったのはこのときが初めてなのかな。就職にしても、自分1人で決めて、第一歩だったと。
ここの後期の幼少期を総括すると、怖い父から普通の父になってんだなと。で、父に対する感情が私は一変したんですね。私の考え方が。優しいところもあるんだと。そういう優しい父に、自分の意思を伝えたかったと。夢っていうのは楽しかったなと。失敗したけれども、いろんな苦しい惨めな思いもしたけども、夢は楽しかったと。
2番目には失敗する父、弱い父というものがいたなと。夢を見せてはくれたが現実は赤字赤字と。これを反面教師として、生きていこうかと。夢か生きるかと。いうところにきてたのかなと。私の思いが。
あとは、父の思いを汲み取れる。これはかっこいいんだけど、こうじゃないんだよ。父の想いを汲み取れるというのは私の妄想で、私が勝手に思ったことを、多分父はこうだろうと。それが大いに違ってたようなこともあるので、よかろうと思って、先取りの行動をよくしたなと。
この後も会社に入ってからもよくこんなことやってんだけど。1人相撲という見方もできるし、この辺から独断の目が芽生えてきたのかなと。
で、総括すると、父の特徴というのはね、コミュニケーション不足。ひとり相撲。つまりこれ相談しない。相手の気持ちをわかろうとしない。独断でやるっていうとこね。
自分の特徴もまるっきり同じでコミュニケーション不足。ひとり相撲。相手の気持ちをわかろうとしないと。で、父の長短よく学んだと。が、結果、親父と同じ自分ができた。
なんで繰り返すんだろうと。ここは悩みましたねかなり。
幼少期全般の父親の言動が、今で言う虐待に相当すると何故感じなかったのかと。従順でありすぎたのかと。親の背中を見れば子は育つなんていう言葉は昔よくあったんだけど、この発想に繋がってるのかと。つまり自分はこれで育ったんだから子も育つはずだという発想が出てきてんのかなと。
で、総括すると、コミュニケーションがやっぱり親父・俺、両方とも下手なんだなと。コミュニケーションっていうのは、一方ではビジュアル的な、感情のない行動というのがあって、片方は感情そのものがあってと2本立てのような気がするんです。私のコミュニケーションの思いというのは。
ビジュアル的なところでは、ここまで来たんだから成功した部類に入るんだろうと思う。だけど、感情という面ではね、どうも、赤札の件から育ってないような気がすんな。片方でいけてるもんだから、それでよしと思った気がすんだよ。
だからこれから何したいのかと言ったら、本当のコミュニケーションの勉強したいと。つまり、相手の気持ちを理解するようになりたいと。いうのが今の心境です。
これ何日かかかって、たったこれだけのこと作ったんです。以上ですけど。
(沈黙)
ただ一方ではね、親父を尊敬する部分もあるんですよ。親父のいいところ、悪いところばっかりこれ書いてるんだけども、いいところもあるんで、このいいところから何を学べてたのかなっていうのをもう1回これ、そこはそこのパーツで掘り下げてみたい。
そのいいところを俺も引き継いでんじゃないかなと。いうことで、ボロンチョに言うのはこんなところなんだけど。
いいところはまたそれなりに、こういうふうに細かく掘り下げて、親父の評価を正しく評価してみたいなと。それが俺に引き続いでいるのかいないのか。そこはちょっとこれからやってみたい。項目であります。
――だーっと、父の物語りを聞かされた。という気分。
いや。父なりに、がんばって振り返ってまとめたのだとは思う。出すのが苦手なネガティブなエピソードや気持ちも出している。父がこんなにしゃべることもない。
だけど‥‥事前に準備された、作られた物語りにしか聞こえない。
5年経っていて、その日どんな会話をしていたのか、録音を聞くまでは忘れている。そんなまっさらな状態であっても、「一体なにを聞かされているんだろう?」と、父の真意や気持ちが見えずに言葉が出てこない。
結局のところ、父の物語りを聞きたいのではなくて、会話のキャッチボールがしたいからだ。
― 今日はここまで ―
父は、まったく向き合わないわけではない。
こうして「まとめ」を話してくれることはある。
だけどそれは一方的であって、コミュニケーションとは言い難い。
キャッチボールがないのだ。
たとえここで口をはさんだとしても、「検証が必要だ」と言ってその場での言及は避け、次に「まとめ」を話してくる。
そんな父は、「わが家には心のコミュニケーションが足りてない」と言う。
一体、なにがしたいのか。
そもそも、この家族会議は、父が姉の気持ちをわからず、傷つけてしまったことが発端となってはじまった。
にもかかわらず、この年表をまとめるために、姉に相談し助言を受けている。
そこからして、わたしには不満しかない。
家族会議で聞かれることへの対処ばかりに囚われて、姉の気持ちを全く考えていない。
波乱の家族会議を経て再開した家族会議は、また波乱の幕開けとなったのである。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!
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