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【連載】家族会議『「わかりたい」という気持ちこそが「愛情」』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

【家族構成】
父:自己愛性パーソナリティ障害。頭に血が上ると大声で威圧する。
母:自己肯定感が低い。自分の意見を言えない。
姉:うつサバイバー。心理カウンセラーをしている。
わたし:性犯罪サバイバー。家族会議を主導する。
※遠方に住む姉は家族会議には参加していない。
※家族会議の目的は、夫婦仲の改善と、うつを抱える姉の気持ちをわかってあげられるようになることである。

家族会議25回目#1|「わかりたい」という気持ちこそが「愛情」

――2020年3月9日。家族会議25回目。


わたし
前回は、盛り上がって(ヒートアップして)。お父さんはショックを受けたって言ってたけど、そのことで何かある?

わたしが最後にした質問が、わたしに対して言いたいことあるよね?っていう質問で終わったと思うんだけど。むかついてることとか。


それが最後だったっけ?

わたし
うん。一応お父さん答えたけど。「状況とか立場とかを考えると言えない」「前に進みたいって思うから、言うべきじゃないと思う」って言ってたんだけど、そうじゃなくて、(気持ちを)出すっていうことなんだよねって。

むしろ出さないことで前に進まないっていうのはあると思う。気持ちを見ないでいるから、1個1個がクリアに問題が解決していかない。だから前に進まないっていう側面もあるから、出していった方がいいとは思うんだけど。


えーっとね、その質問に関しては、言いたいことある?っていうのは何なんだろうな。

わたし
わたしに、わたしのどんなところにむかついてる?


泉のどんなところに‥‥。泉って言えば泉なんだけど、子が、親に対してこういう質問するんか?っていうところはあるな。

わたし
今の質問?


いやいや、この間からずっと。流れで。こういう話し方するのかな?と。だけど、そういうあんたは親かよって言われたら、身も蓋もねえっちゅうか。何かその辺での葛藤があるな。

わたし
話し方っていうのは言い方?内容?


内容だな。

わたし
うん。例えば?


例えば、「イラついてるとこあるか?」とかさ。普通だったら親が子供に言う内容じゃんそれ。親が「お父さんに何かいらついてるとこあるかい?」と。何か立場が逆転している。

わたし
あー‥‥わたしの、上から目線的なところがむかつくっていうこと?


それを上から目線っていうんならばそうなのかな。

わたし
なるほどね。


で、一方ではね、こないだ泉が言った、俺の親父が、奥さんに対しても愛というものを提供できない人じゃないか。子供に対しても、愛というものは、提供できない人じゃないかと。そういう人に育ったお父さんは、やっぱり愛というものを提供できない人なんじゃないかと。いう論法で言ってたけども、それはその通りだと思うわ。それが正しければ、それは本当にそうなのかと、こないだ一例を持ってそれ言ったような気がすんだけど。

今俺それを探してるんだけどさ、それと同じ事例を。親父の。なかなか見当たらなくてさ、もう少し時間が欲しいなって感じするわけ。もしそれが本当であれば、なんつうのかな、対策はその後だからいいんだけども、とにかくお姉ちゃんに電話したのは、「一緒に、立ち向かおう」と。佐藤家のこの、脈々と伝わっているね、悪しき習慣に、お姉ちゃん1人で立ち向かおうとしてたみたいだけど、お父さんも一緒にやって立ち向かおう。という話はしたんだけどね。今言えんのなんかその辺までだな。だからこの間の、一つの事例で言えんのは。

とにかく、今までは親子で会話しているつもりだったんだわ。

わたし
この場が?


いやいや、おねえちゃんとか泉に対してね。

わたし
うんうん。


だから、親子じゃなくって、同じ立場で一緒に、なんていうの戦わなきゃいかんなと。会話しなきゃいかんなっていうのは強くなってるね。

わたし
うんうんうん、なるほどね。


ただそれを確固たるものにするためにはもっと、親父の悪しき習慣たるところを探さなきゃ、ちょっと確固たるものになりにくいっていうかね。そういう状態です今は。

わたし
わかった。すごい難しい話し方するね、なんとなくわかったけど。


今まで親子で話ししてたっていう意味は、どんな意味なんだろう?


さっき言ったけど、上から目線なんだな。


お父さんが、子供たちに対して上から目線で、今まではきたよ?


親だからこうだ!って。だからそこを一つ一つ剥がしていくっていう感じなのかな。


― 今日はここまで ―


父の問題は、結局のところ「人の気持ちをわかりたいという欲求がない」ことだ。

子供の気持ちをわかりたいという思いがあれば、親目線だっていいと思う。

つまりはその、「わかりたい」という気持ちこそが「愛情」なのだ。


この家族会議の失敗は、父が「子供の気持ちをわかりたいと思っている」前提で話をしていたことである。

それでもわからないのは、父が自分の気持ちを感じ取れないからだろうと。だから父自身の幼少期の寂しさや悲しさをまずは一緒に癒そうと。


だけど、そもそもわかりたいとも思っていないものを、わかるはずがない。


父が守りたいのは、自分の立場だけ。自分のプライドだけなのだ。

そうなってしまったのも、結局は幼少期の育ち方に原因があると思うけど‥‥。

<次回に続く>


これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!

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心乃泉
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