【連載】家族会議『自分の未熟さを認めれば』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。2020年1月6日から約4ヶ月に渡って行った会議の様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議22回目#9|自分の未熟さを認めれば
――この日の家族会議は、母の育児期の話を聞いている。
母:
そうだ。あと思い出したのは、泉を生むときに‥‥お父さんに迷惑かけちゃいけないと思ってた。その頃も。で、(出産で)1週間ぐらい入院するでしょう?その間、お姉ちゃんを預かってくれるところをいろいろ探したの。だけど、短期に預かるところはなかったし、誰かに「かわいそうでしょ」って言われた。誰も知らない人の中に預けられるわけでしょ、急に。
それで結局は、自分の母親とお義母さんに1回ずつ交代で来てもらって。ちょうどね、生まれる直前に母親が来て、その後泉が生まれて。1週間くらいで帰って、そのあとお義母さんが確か来てくれた。
お姉ちゃんのときと同じように泉のときも里帰りしなかったから、お義母さんに言われたんだよね、わざわざこっち(岩手から茨城)に来なきゃいけないから、「実家で産んだほうが見る方も楽なんだよ」って。
2回ともだしね。なんだか、強情だったのかしら。とにかく2回とも。
わたし:
あれだね、最初のとき(お姉ちゃんを生んだとき)に、自分のつらさとかに気づいてれば、2回目の出産ではもうちょっと違うことができたかもしれないね。けど、気づいていなかったから同じように頑張った。っていうことだよね。
――第一子出産で、母は育児ノイローゼになっていた。だけど当時、そのことに気づいていなかったのだ。
母:
いつもは親の気持ちを優先する感じだったのに、なんかそこ(出産)だけは譲らなかったんだね。他のことではいろいろ、親の言うことを聞くみたいな感じだったのに。
わたし:
自分の親にも言われたってこと?
母:
里帰り出産がいいっていうのは、お義母さんに言われたんだけど。
私の母親は「そうですか」みたいな、なんか、その通りにしてくれたっていう感じだったな。
わたし:
でもさ、お姉ちゃんを預けられるところを探してたっていうのを聞くと、本当に1人でやろうとしてたんだね。
母:
そうなんだよ。
わたし:
お父さんに頼らずに。
母:
そうなんだよ。
だって、ね、お姉ちゃん、わたしが入院している間1人になるんだから。もし急に生まれそうになったときに、おばあちゃんに来てって言ったってすぐ来れなかったりもするわけだし、お父さんは仕事は休めない。
だからお姉ちゃんをどうしようって。だから1人で。
お父さんに1日2日休んでっていうのもなく。頼めば休んだかもしれないけど。
わたし:
頼めなさそうな状況でもあったってことだよね。忙しかったわけでしょ?その頃。頼みづらさと、自分でやるんだっていうのと、迷惑かけちゃいけないっていうのと…
母:
そう迷惑。仕事の邪魔しちゃいけないみたいに思ってたから。
なんか自分はそんな気持ちだったのに、お父さんは、お父さん側からすると、私に足引っ張られてる感じだったって‥‥。何回か言われてるんだけど。
そのときのことと繋がるわけじゃないかも知れないけど、なんか全然、なんていうかお互いに全然違うことを考えてた。相手の考えてることもわからないし。みたいな感じ。
わたし:
噛み合ってなかったのね。
母:
だから、「足引っ張られてる」って言われたとき私は、「邪魔しないようにしてたのに」みたいな感じでもある。けど、そこの意味はまた違うんだろうね。
わたし:
お父さんも、良かれと思ってやったのにって言うじゃん。同じだよね。お母さんも良かれと思ってやっているのに
母:
例えば急のとき、休める?とかって聞きもしないんだもんね。聞いてみてやっぱり駄目だって言うなら、じゃあこうしようかってこともあるけど、言いもしないで。
‥‥誰かに言われたんだよね。「かわいそうだよ」って。
わたし:
それは何か、ハッとしたって感じなの?
母:
そうだね。
わたし:
そっか。そのとき完全に、お姉ちゃんの気持ちとかには思いが及ばなかったってことだよね。
母:
ぜんぜん。ぜんぜん‥‥
わたし:
お父さんに迷惑をかけない方法は何か?その1点みたいな。
お父さんはどう?今、どんな気持ち?
父:
いやさっきも言った通りもう、なんか、申し訳ないばっかりだな。
わたし:
後悔と反省を除いたらどんな気持ちが出てくる?
父:
後悔と反省?もし変われるもんならその頃に違った俺が出ていって、何とかしてあげたいなと。
わたし:
今のお父さんだったら何してあげるって感じなの?
父:
やっぱりあれなんだろうなー。最大のテーマだけど、寄り添うことなんだろうな。俺ばっかりがつらいのかと思ってたら、お母さんも俺と同じように、それ以上につらいことあったんだなあと、いうのを改めて感じてます。
わたし:
そうだね。
父:
だからやっぱり、こういう話をしていいところっていうのは、これがベースになって話ができるわけだよな。今まで知らなかったんだもん。これがわかってベース上がってきてるから、これでちゃんと話ができるなと。いう感じだよね。
わたし:
知ったことは良かったなって思えてる?
父:
聞いたこと?
わたし:
今知ったこと。
父:
もう全然いい。
わたし:
うん、そうだよね。普通に考えて知りたいことだよなって思うよ。旦那さんとして。
だから、言っていいんだよって感じだね。ひとりで頑張りすぎなくていいんだよって。もっと旦那さんに頼っていいんだよって。
母:
その頃の自分に、ね。
わたし:
うん、そう。
まあでも、頑張ったよねって言ってあげないと。
頑張ったよねえ?
父:
がんばった。ほんっとに。
母:
ありがとうございます。
父:
よくがんばりましたよ。
母:
ありがとうございます。
さっきの、結婚したての頃、父親に毎日のように電話したっていうの、自分でもなんでかよくわからなかったんだけど、ホームシックだったのかぁみたいな感じ。
父:
ホームシックだと思うよそういうの。
母:
言われればそうだよね。
父:
だって、結婚したってね、したての頃は、ほっぺ赤かったもんな。
母:
どういう関係があんの?
父:
いやいやいや。ほっぺ赤いってのはね、よく言われるんだけど、垢抜けしてないっていうこと。赤いのが抜けてないっていうこと。純粋で来ててさ。大阪のわかんないところに来てなあ、よくやったよ。
――褒めてんだか馬鹿にしてんだか‥‥。いい感じに話が進んできても、父はこうして致命的なミスを犯す。
自分は77歳になってもまだケツが青いままだというのに。
母:
それでも自分はできると思ってた。笑
遠いとか、そんなの関係ない。こっちも大人なつもりだったから。
父:
隣近所に誰もいないんだから知り合いが。
わたし:
よくやったよね、ほんと。
父:
俺はそれなりに大阪にね、8年から10年くらいいたから、何とかなってるけど、即だもんな、岩手県から。
母:
できると思ってた。笑
自分のことをまったく知ってない。過信してるし。
わたし:
何かそこで、「できると思ったけどできない」とか、「やってみたら難しい」とか。その気持ちをちゃんと感じながら切り替えていければね。
無理なんだって認めて甘えるとか、そこからでも実家に帰るとか、来てもらうとか、お父さんにも手伝ってもらうとか。そうできればもっと楽になれたかも知れないけど、そういう気持ちに気付かなかったんだね。
結局そうやって、自分の気持ちを知らずに生きてきてるんだよね。お父さんもお母さんも。それが(今の家族関係に)影響してるってことだよね。自分の気持ちわからなかったら、人の気持ちはわかりようがないもんね。
母:
そうだね。
‥‥無理なんだって、いつ思ったの?私。できると思ったけど、やってみたら無理なんだって、私はいつ思ったんだろう?‥‥今も思ってないのかな。
わたし:
今は?
母:
今はなんか、だいぶわかるようになったけど。だけど、お姉ちゃんが鬱になってからね。それまでは変わらずだか、思いこんでたというか
わたし:
実際やってきてるしね。そこがさ、すごい難しいところっていうか。全くできないわけじゃない。お父さんもお母さんも。
実際やってきて、積み重ねてきたものもあるから、当然、今何もできないわけじゃない。だけど、だからその分、その積み重ねが邪魔をして、自分の未熟な部分とか自信がない部分を認められない。
母:
ますますそうなっちゃう。
わたし:
うん。やってきたもん、自信つけてきたもんってなっちゃうっていうか。
自信つけてきたものはある。それ以外に、できてない部分もある。未熟な部分もある。大人の私もいるし、子供の私もいる。
だけど大人にならなきゃ、母親にならなきゃ、父親でいなきゃ。そういうのがすごい強い。それで今までやってきてる。それをモチベーションに。社会に出て、大人として生きていかなきゃいけないんだって、言い聞かせて。
未熟な自分を押し込めてやってきた期間が長すぎるから、できない自分を認められないし、っていうことだよね。
― 家族会議22回目おわり ―
「自分は未熟である」と認めることは、年齢を重ねるごとに難しくなる。
だけど自分を未熟者だと思えれば、謙虚になることができ、無理をしなくてよくなり、人に頼ることができるようになる。
より自然体で生きられるのではないかと思う。
まあ、そう単純ではないだろうけど。
<次回に続く>
これまでの家族会議記事はマガジンにまとめています。お時間あればぜひ、わが家の会議をのぞきに来てください!