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令和の今、子どもを育てるために

「平成」の子育てはなぜ難しかったのか
岡崎先生の中日新聞記事は確認しています。面白い。

分数ができない大学生がどうしていけないのか。僕には分からない。そういう大学生を入学させたんでしょうと思うわけです。

本当にその通りだなと思いました。全入学時代の今どんな学力でもお金があれば大学に入れて、大学がその子ども達を育てる場所であればいいのだけれど、決してそういうわけではなくて。
例え、分数ができなかったとしても、何かに力を発揮できればいい。その子の個人個性や特徴を活かせるところであってほしいです。外国の大学はそうなのかなと思います。でもだからこそ、今日本の大学を卒業しても、職につけない子もいて。

私の移住の理由の一つでもある小学校の統廃合。これは教育への市民参加というよりも教育コスト削減にみえて。本当に真面目に子どもの教育を考えているとは思えなくて。日本各地で小学校と中学校、高校の枠組みが壊れ始めています。先日、ある勉強会でコロナ禍での小学校受験と中学校受験が東京都でかなり増えているという話を聞きました。都内からは遠いのもあり、また周りがそのような環境でもないので、あまり実感なくすごく驚きました。そして、発達を大事にせずに詰め込み教育に苦しむ子どもたちが多くなることに悲しみを感じます。子ども時代の心身の土台作り本当に大事なのに。小学校統廃合した先に見える未来の子どもたちは苦しむ姿しか想像できません。
統廃合からは離れますが、学校教育はもともと「良い子をしつける」という側面ももっていて、道徳の教科化により特定のもっともらしい「良い子」像を子どもたちに押しつける恐れもあります。道徳授業の中で求められるものと違う考えがあった時、子どもは疎外感や否定されたという感覚を持ってしまい、しかもそれが評価されてしまう。これがまたとても恐ろしいです。道徳なんて本来は多様な考え方があるはずなのに。 教育実践にはある程度の時間が必要なのに、公立学校が合理性や効率性を追求する成果主義的な方に流されています。
プログラミング学習やAIもあるこの令和の時代、気づく人は増えたけれど平成よりもより危機感を持たないといけないのではと感じています。 リアルで生の体験を積み重ねる。こどもの興味、関心、モチベーションを保つためにゆとりを持つ。この子たちが大きくなったとき、その体験をしたかしてないかでまた大きな差が出るのでと思います。

以下、岡崎勝先生の「思春期心中 なぜ「大人」になれないのか」より

目的なんか持たなくたって生きていけるし、自立なんかもしなくていい、迷惑をかけあいながら生きるのが人間というもの

先日の勉強会でも、同じような内容がありました。苦しいとき、少し楽になれる気がします。

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