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余計なお世話(1)
最近はひまさえあれば、義弟のことを考えていた。体調不良で退職して以来、なかなか調子が戻らず、約4年ひきこもり状態の夫の弟。病院が大嫌いで、運動もほとんどせず、少食。放っておいて、良くなることは考えにくい。
大きく分けると
A:何をするべきかとその方法
B:そもそも余計なお世話かも
の2点について考えていた。
このうち、Bについてはもう「余計なお世話をするんだ」と覚悟を決めた。
他の家族がなぜ平気で暮らせるのか不思議なほど、私は義弟のことが気にかかる。義父、義母、夫の3人もそれぞれ義弟を気にしているとは思うけれど、今は誰も何もしていない。
(追記:読み返してみて、他の家族も平気ではないよな、と思った…)
その状況が耐えられない。義弟にとっては余計なお世話でも、私は何かしたい。もちろん、細心の注意は払いながら、何かをやっていきたい。
偽りのない本音の部分では、私が出ていかなくてもすめば一番ありがたい。夫の実家の誰かや、友人、知人がやってくれたらと思うこともある。
義弟にとっては余計なお世話でしかなくて、不快なことかもしれない。だからといって何もしなければ、もし助けが必要だった場合に手を差しのべることもできなくなる。
それにSMSでは、私に対して、社交辞令もあるかもしれないけれど、感謝してくれていた。たしかに接し方は難しいけれど、返信に書かれた言葉を見返すと、気持ちが通じている、と感じる。
余計なお世話になってしまってもいい。それより、助けるチャンスを逃す方が嫌だと思う。だから「余計なお世話かも」と悩むのはやめた。
これで、考えることはAだけになった。
「何をするべきか?」
もともと何も頼まれてもいないのに突っ込んでいくことに、すごくむずかしさを感じる。
現状ではSMSのやりとりをしているから、それを足がかりにしていきたい。できたら、顔を見て話したいと思う。体調なども察することができるから。
案としては、
・渡すものがあるから
・近くまで来たから
という感じで、家に寄ることができたら、と思う。
本当に渡したいものも買ってあるし、近くで用事もあるから、6月中に会えたらな、と思う。
今年に入って数回会って、話ができることもあれば、気まずかったこともあった。気まずかった時は私の方が緊張していた。
SMSのやりとりで、少なくとも義弟から嫌われていないことはわかってきた。今度会えたら普通に接することができるかな、と思う。
会えるか会えないか、話せるか話せないか、どんな結果になっても、noteに書いていこうと思う。