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記録、記憶、痕跡、輝き

コンピュータがPC化していって普及していった80年代以降のデジタルデータがフロッピー、CD-ROM、USBメモリetcといった電子記録媒体に保存したからといって、1200年後に私達の時の痕跡を残すものとしては残らないと思う。つまりは、AIが登場しようが、すまいが、またそれと関係なく人がPC上で創作の営みをしようとも、その記録の痕跡は、たぶん残らない。

平安時代のころ活躍していた
空海(生年: 774年〜没年: 835年)
最澄(生年: 767年〜没年: 822年)
空海著の《風信帖》や《灌頂暦名》、《金剛般若経開題残巻》
最澄著の《御請来目録》や《尺牘(久隔帖)》など、
平安初期の二大スターの真筆がいま、東京国立博物館に展示されているらしい。7月17日から9月8日までの会期で特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」が、開催されているそうで、ああ、行ってみたい、行ってみたい。

真筆ですよ。

空海筆 金剛般若経開題残巻(三十八行)奈良国立博物館:蔵

NHK大河も同じく平安時代の
紫式部(生年: 970年~978年の間〜没年: 不明)
清少納言(生年: 966年頃〜没年: 1025年頃)たちを扱っていて、今年は平安な年だな、と思いつつも二人の古筆は残っていないそうです。

書には、やはり、何らかの「人」が現れると思うし、その手の動きの痕跡が書として、今も残ることに、書いたその時の記憶を留めているようで、人に書を通して平安にタイムスリップする感覚をも、もたらしてくれる。

AIシフトして、AI活用推しの自分がAIをいくら凄いといっても、たぶん、電気の明滅のごとき、巨大な時の流れに明滅するわずかばかりのトピックに過ぎないが、紙に墨による筆書きというアナログメディアに書かれたものは、1200年近く経つ今も残り続けている。

そしてその痕跡、書の持つ、勢いとか筆致といったものから、書に書かれた文字の意味以上のものを受け取っている。意味を伝えるだけの言語以上のものをアナログメディアは伝えている。

効率ばかりを求め、現代は、多くのものを失ってしまった感じはする。
でも、まあ、それはそれで良しとしよう。
元々、人間そのものが、巨大な海の大海の中の藻屑のようなものにしか過ぎないし、せいぜい長くて100年のいっときの時間を泳いでいる俄なものでしかない。また、そもそも遺せるものなど、ほとんどない人が大半だ。

ならば一際、明るい電気の明滅の一つとして光ればよいと思う。
光ることにも、太陽のような直接光もあれば、月のような反射光もある。

今回のパリオリンピックで輝いたメダリストのような方たちも居れば、それを我がことのように喜ぶ人たちもいる。
それぞれの輝きがあって、どちらも輝きであることに変わりない。
ペルセウス座流星群も空に輝く今年、海の煌き、星の瞬き、それらを感じることのできた、ここ最近でありました。

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