そんなあなたがステキ! vol.1 【雨の中のジョギング】
今日は、私がイギリスで暮らしていて
思わず『いいね!』したくなる日常について書こうと思う。
◇
ココへ来た当初
私の脳は、五感からインプットされるすべての情報をスキャンし、私が認識していた日本の暮らしと違うものを見つけては私に通知していた。
それは、一般的に'違和感'と呼ばれるものだと思う。
しかし、私が環境適応することで脳はアップデートされ、今ではイギリスの暮らしが私のスタンダードになりつつあるからおもしろい。
というわけで、私の日本人脳が検出した'違和感'を、アップデートされた私の脳が完全に消去してしまう前に書き留めておきたいと思った。
それは私が思わず'いいね!'したくなることであり、私にとって'大切な幸せの種'だと気づいたから。
◇
私はイギリスで暮らしてみて
日本で暮らしていたときに信じていた'常識'の多くは
日本人というか社会という集団が作り上げた平均みたいなものだと知った。
私は日本人の両親のもとに生まれ、日本で育てられた。
・郷に入れば郷に従え
・長いものには巻かれろ
・出る杭は打たれる
などなど
子どもの頃から、平均的に生きる=個人より集団が重要と教えられてきたように思う。
また、直接教えられたわけではないが
・空気を読む
・人の気持ちを察する
などなど
自分を主張しないこと、周囲に合わせることは美徳という風潮もいつの間にか学習していたと思う。
その結果、いつもうまく立ち振舞い、学校でも社会でも比較的良い評価を得ていたにも関わらず、私は子どもの頃からいつもどこか居心地の悪さを感じてきた。
そして、ココに来るまで、私は'自分の気持ち'や'自分らしさ'を見失っていたような気がする。
◇
前置きが長くなったが
今日私が'いいね!'したいのは
イギリスでよく見かける雨の中でジョギングする人だ。
イギリスは本当に雨が多い。
冬ともなれば、霧か曇りか雨の毎日である。
今年で3度目の冬ともなれば、楽しみの見つけ方や気分の上げ方も上手くなってきたが、初めての冬は大変だった。
日本列島の南西部で生まれ育った私にとって、お日様のない生活は本当にキツかった。
朝起きた瞬間からお天気と同調してしまい、いつも気分はどんよりしていた。今思えば完全に鬱状態だったと思う。
そんな私をよそに、イギリスの人たちはお天気がいいか悪いかなんて全く気にしてないように見える。というより、みんな雨という事実をただありのままに受け入れているのだろう。落ち込むわけでも、不満を言うわけでもなく。生まれたときからこの環境が普通ならそんなものなのかもしれない。
イギリスの人たちは健康志向が高いのか、ジョギングをしている人がとても多い。
日本では、ジョギングはお洒落なスポーツウエアを着こなし、カッコいいサングラスなんかをかけた、運動の得意な人たちがしているイメージがあった。
でも、ココでは、お洒落な着こなしじゃない人も、太った人も、オバちゃんも、お腹の出たオジサンも、一番驚いたのはベビーカーを押しながらママと思わしき人まで、とにかく至るところでジョギングをしている人を見かける。
その中で、私がいつも特に'いいね'したいと思うのが、雨の中でジョギングしている人だ。わざわざ雨の日までしなくても…と思ったりもするが、特に見た目がストイックそうな人じゃない、前述したような普通の人たちが、結構激しい雨が降っている日でも、レインウエアを着ることもなくいつも通りジョギングをしているのだ。
人の目なんて気にしていない。
みんな自分がしたいことをしている。
'常識'とか、多くの人がしているかどうかなんて関係ない。
のだ。
◇
日本では、私の住んでいた田舎には雨の中で傘もささず濡れながら歩いている人なんてほとんどいなかった。もしそんな人を見たら、傘を忘れたか、ちょっと変わった人なんだろう、なんて脳が勝手に判断していた。
でも、ココでは濡れながら歩いている人の方が多いかもしれない(笑)。ロンドンのような都会のことは分からないが、とりあえず、私が暮らしている南部の田舎では傘をさしている人の方が少ない。上半身だけのレインウエア(日本のいわゆるカッパのようなダサいのじゃないやつ)を着て、みんな雨が降ってない日と変わらない生活をしている。もちろん、レインウエアを着てない人も珍しくない。
自分が人の目を気にしないということは、言い替えれば、人のことも気にする必要がないということなのかもしれない。でも、それは'困った人を見て知らん顔する=人に関心がない'のとは違う。日本(私の住んでいたところ)より、道でスレ違う時に挨拶する人は多いし、車で道を譲り合う率、譲られた人が相手に感謝のジェスチャーをする率は圧倒的に高い。
これは私の感想なのでご容赦願いたいが、私には、ココの人たちは個人に対して優しいような気がする。※これは、移民が多く国籍・文化・習慣などがひとつではないことから、日本のような集団意識が働きにくいことから発生する恩恵のひとつなのかもしれない。日本や誰かを批判したいわけではなく、日本を離れてみて、'私'がいかに集団意識に大きく影響されて暮らしていたかに気づかされたのである。
◇
今、私は、いつも人の目を気にしていたあの窮屈な感じはなくなり、自分を生きている感じがする。
自由でいい。
生きていくのに、'常識'とか'こうあるべき'って実はそんなに重要じゃないのかもしれない。
自分にも人にも社会にも環境にも、'優しく生きる' ことを目指している私にとっては、大きな第一歩である。
---今日も朝から雨。
私もレインウエアを着て、ジョギング…とはいかないけれど、いつも通り散歩に出かけてみようかな。