人生に逃げる場所はいくつあってもいいと思う本の話
何を読んだらいいかわからない、と言ったあなたへ、私の好きな本の話をしよう
大きな台風が日本を巻き込んでいます。無事に、安全に過ごせますように。
あっという間に8月はもうすぐ終わり、秋の声が近づいてきました。なんという幸せか!
四季で一番好きなのは春なのですが、秋は一番優しく接してくれる季節のような感じがします。自分が秋生まれなこともあるかもしれませんが。
私の亡くなった母は、料理が上手な人だったの。専業主婦だったことももちろん大きいと思うけど、いろいろ作ってくれた。
それなりに見栄えのするものから、煮物に唐揚げ、洋風から和風までなんでも。今でも食べられるものなら食べたい。
だから、実家にいるときは、ご飯の支度を手伝う中でなんとなく料理について教えられてはいたよ。下ごしらえの手伝いはもちろん、鍋に入れて炒めたり、味付けはこんな感じ、って教えられたり。すべてを一人で、というのはあまりなかったけれど。
私は割と早めから一人で暮らしてきたし、一通りのものはなんとなくは作れるんだけどね。でも母のようにはうまく作れないんだよね。頭の中にある味が再現されない。
まして一人に向けたご飯というのは、だいたい家庭料理を作れるようなボリュームじゃないんだよ。覚えている感じで作ろうとすると、たくさんできてしまうの。更にはそれ用にそろえた食材はもちろん余って、これをどうしよう、と困り果てる。
そして少しずつ、でも確実に台所と私との距離は、昔より広がってしまうようになった。
辻仁成さんのことは、某アイドルの元旦那さんでフランスに住んでいる、という認識だった。「冷静と情熱のあいだ」は、江國香織版を読んだのは覚えているんだけど、辻仁成版は読んだかな?というくらいのうろ覚え。
それがたまたま、テレビで辻さんがお料理をしているのを見た。正確に言うと、フランスでの暮らしのドキュメンタリー番組みたいなものを。
それを見て、ものすごく驚いた。それは、離婚当時に冷え切った息子さんとの生活に火をともすべく料理をしていた、というような話を見たから、もある。
でも、なんといってもテレビで披露されているお料理がとても、なんというか、ちゃんとした美しいものだったので、これはすごいなぁ、と思った。仲良しの八百屋さんでのやり取りもなんだか素敵で、旬というものを目で、肌で、口で感じられる幸せというものを改めて認識した。
改めて、台所というところが、あんなに美しいものを作り出せる場所なんだな、って感じた。
この本は料理教室、とのタイトルで、帯にはこんな言葉が書いてある。
その通りで、息子くんに話しかけるようにその料理のことや料理自体にまつわることなどが語られている。レシピもあるけれど、読み物に近い気がする。
その中でも一番初めの料理の章で、冒頭に引用している文章が出てくるんだけど。
ああ、台所は逃げ場所でもあったな、としみじみ思いだした。
終電で仕事からヘロヘロになって帰ってきて、夜中にコンビニのお弁当を食べる毎日だった時期にも、たまには冷凍うどんを作って食べたり、延々と野菜をサイコロ状に切ってコンソメスープを作ったりしたこともあったから。
確かにたくさんの種類は作れないし、味だって覚えている母のものとは違う。それでも、できた料理は自分を労わってくれたように思うし、そもそも台所で無心に野菜を切ったり、火加減を気にしていたりする時間そのものも、自分にはごちそうだったのかな、って。
人生で逃げなくちゃいけないときは、必ずあると思う。逃げてはいけないなんて、全く思わない。
そんな中で、台所という逃げ場所は、比較的やりやすくて、自分のためになる「よりどころ」の一つなんじゃないかな、と思う。
私も、母に逃げ場所の一つは教えてもらっていたんだよね。
この夏、今までよりずっと自炊をしたの。今まで通り大したものではないけれど、それでも今まで使ったことのない野菜を料理してみたり、あまり買わない調味料を使ってみたりもした。
この本のレシピは、読むばかりでいまだに作ったことがないのだけれど。この夏が終わるまでには、一つくらい作ってみようかな、と思う。
あなたとはあまり料理の話をしたことがなかったね。
いつかどんな料理が好きか、とか、割とよく作るお料理は、とか、そんな話もしてみたいな。
もちろん、もうご飯は作りたくない!という話があなたの中で盛り上がっていたとしたら、それもしっかり聞くよ?
ではでは、またね。
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