こころのかくれんぼ 10 【入院徒然日記~手術当日~】
手術当日の早朝。目覚めは良い。
廊下に出て大きな窓から外を眺めると、晴れた空が広がっている。
まだ低い位置の太陽の光が生命の暖かさのように感じて、静かに目を閉じて全身で受け取ってみる。
廊下のスピーカーからはエルガーの「愛の挨拶」が聞こえてきて、なんとなくその場でお辞儀をしてみた。
こちらの病院は、朝から消灯時間まで院内にクラシックのBGMが流れているのだが、注意深く聞いていると各時間帯によって曲調やテンポが違う。
朝は軽くて少しゆったりめ。昼は軽快なピアノ曲が中心。そして夕方から夜は低く静かな弦楽器の曲へと変わっていく。
音楽と心拍数の同期現象や、自律神経への影響からバイタルサインに与える変化の研究は時々みかけていた。以前勤めていた病院でも、手術室へ入室する際に好きな音楽を選んで頂く取り組みをしていた事を振り返る。
ワーグナーのマイスタージンガーを選んだ方は「あまりに壮大すぎて、手術室に入るのが恥ずかしかったよ」と、術後に照れくさそうに話して下さったことを思い出す。確かにあの曲では荘厳な入室の情景だっただろうな、と懐かしく思いだしながら微笑んでいたら、担当看護師さんが現れた。
「術後はお部屋に戻らずHCUに行くことになりました。お荷物をすべてまとめておいて下さいね」と言う突然のご案内。やや急ぎ気味に催促する様子から、当初から予定されていた事ではない事が伝わる。持参する荷物のチェックリストに沿って名前シールを貼ってねと言う事を、繰り返し念押しをされる。
そこがどんなところで何を目的にする場所なのか、と言う説明はない。
私が医療関係者だとバレてしまったのだろうか・・・
専業主婦を装っていたのだけれど・・・はてな。
ちなみに、HCUとは以下の場所である。
前回はオペ室から直に自室に戻ってきたので、なぜ今回はHCUなのだろうと不思議に思ったのだが、決定に至った経緯の説明も無い。
恐らく5~6時間というやや長めの術時間を要する事で生じる負荷や、前回吐き気が強く離床がきつかった事が影響しているのかな?それとも管理加算が取れるからかな?と勝手に想像してみたけど良くわからない。
だがこの「患者4人に対して1人の看護師配置」という手厚い環境は、私にとっての安心材料になったのは確かだった。
一般病棟で術後の患者さんの経過を細やかに看ること、数分間ですら落ち着いてベッドサイドに留まることも大変である現場の状況を知っている身としては、術後管理に特化した環境で療養出来ることは、有難いものだった。
同室者4人中私含めて3人がオペ目的だという事が、カーテン越しの会話の中で聞こえていたので「お互いにがんばりましょうね」と言う密かな連帯感を感じながら、呼ばれるのを待つ。
前回は希望して個室に入っていたので、周りの人の様子を感じることは無く、良くも悪くも自分自身に全集中して向き合う時間が長かった。
挿管はうまくいくかな。終わった後、喉痛むかな。傷跡はどのくらいの数になるんだろう…など、この先の事を取り留めもなく考えていた。静けさというものは有難くもあるけれど、内に内に入り込みやすいがゆえに、想像や妄想を助長するものにもなるのだな、と学んだ時間でもあった。
大部屋では誰かの足音や洗面所で流れる水、ワゴンの金属音や低めの会話…生活音が適度な雑音として不快に感じることもなく、過敏に受け取ることもなく、ただ「音」として流れていて、不思議と落ち着く。
「誰かの気配を感じていたいから、カーテンは全部閉めないでね」と、起き上がれない状況で伝えて下さった患者さんの言葉が、身に染みる。
過度な騒音は心を消耗するけれど、誰かのたてる「程よい音」というものは、自分も誰かの生活の中の一部として確かに生きていることを感じられて、その繋がりに心安らぐのかもしれない。
そんな事を思っていたら、出発の声が
掛かった。前回は背中の手術だったので、移動はストレッチャーだった。
(仰向けからくるっとひっくり返される要領で、手術台に乗る形なのだ)
今回は前胸部なので、歩いて向かう。
担当は2年目くらいの若い看護師さん。
手術室への申し送りがちゃんと出来るかな・・・と言う、そこはかとない緊張感を漂わせていて、なんだかほほえましい。手術室に到着し、入り口で若い彼女からお姉さんオペ室看護師へと引き継ぎが終わる。きちんと目を見て挨拶してくれるだけでほっとして、足取り軽くひんやりとした手術室へと向かった。
前回の入室は流れ作業のごとく、まるでモノのように扱われた事を思い出す。名前を名乗れ・横になれ・手を伸ばせ・上にずれろ、今は動くなと、指示だけ与える威圧的な鬼AIのような手術室看護師がいたのだ。私の名前を呼びかけるでもなく、え?大きな独り言なの?と勘違いしたくらい「自分に言われている」という意識すら生まれない声掛けだったのだ。「対象へ伝えよう」とする心が一切感じられない機械的で一方的な言葉というものが、どれだけ相手に届きにくいのかというものを、身をもって学ばせてもらった。
この人に意識がない間の自分の身体を委ねるのかと思うと、心の底からたまらなく嫌で、不安が一気に吹き上がったのを覚えている。
もし手術中に命を落としてしまったら、私が最後に言葉を交わしたのは(交わせもしていないのだが)この人になってしまうの?と、ひりついた空気の中でどんどん悲しくなった。
人はあまりに乱雑に扱われると、怒りを通り超えて泣きたくなる、ということを知った。
「実は前回、かくかくしかじかで・・・結構トラウマなのです」
思い切って、優しそうな看護師さんにその時の本音を呟いてみた。
すると
「あぁ!すみません!その人、ここの四天王のひとりです!」
その人物がオペ室の四天王と呼ばれる、誰から見ても恐怖の存在であることを知った。そうか。王か。王だったのか。
王ならば仕方ない。
誰も注意出来ない存在というものは、どこにでも居るものだ。
「あれは怖いですよね、すみません」と、その場に居るスタッフも共通認識していて、医師や麻酔科医とも一緒に笑いあえた事で緊張も解けた。
話題のネタを有難う、四天王よ。
願わくば民に愛される王になってね。
前回「最後の晩餐」について記述したが、最後に聞きたい曲・・・
ラストソングの結果も、ここで記しておこう。
☆ラストソング部門第一位☆
「パッヘルベルのカノン」
カノン。
好きな曲だけれど、最後の心拍数にはちょっと早すぎる気もするような。
次点にアメージンググレース、アヴェマリア、ふるさとが続く。
聴覚は最期まで残ると言われているが、これまで多くの方の最後の瞬間を共に過ごさせていただく中で、それは実体験として感じてきたことでもある。
名前を呼ばれて、小さくひとつ呼吸をされた方。
フラットになった心電図が、ご家族の声掛けに一度だけ反応された方。
手を握り返してくれたこともあった。
それは決して、只の筋肉反射ではないと私は思っている。
様々な形で、お返事をしてくださったのだろう、と。
最後に耳にしたい音楽。耳にしたい音。
それは、もしかしたら「音楽」という形ではなくて、大切な人や愛おしい誰かの「声」なのかもしれない。
慣れ親しんだ環境音や、懐かしい何かの響きかもしれない。
オペ室の中に流れる空気は穏やかで、横たわったベッドはほんのりとあたたかい。あぁ気持ちがいい。麻酔投与の静脈ルート確保も無事終わった。
今回は心からほっとしている自分を感じながら、意識がフッと消えた。
つづく