こころのかくれんぼ 17 【自宅療養編 ~最初の困りごと~】
首から腰まで、前面ほとんどに縫い傷がある状態で下着を身に着けるのは、なかなか難しいものだった。
(大丈夫な方は、かくれんぼ15の術後写真をご覧ください)
傷の上からモイスキンパットを当てていても、ブラの細い肩紐は鎖骨周辺の傷を直撃するし、アンダーバストの締め付けもそのまま響いてくる。
ショーツも同様で、やはりどうしても局所的な圧迫がつらい。
普段は何とも感じないことなのに、下着が肌に与える「圧」というものをひしひしと感じる。
しかも、おへそ周りはノーガードだ。
ブラ、腹巻き、ショーツの三段構えにすればよいのだろうか・・・。
いや、それぞれが抑える部分が増えるだけで、安楽にはならない気がする。
点で抑えるのではなく、面で広く抑えてくれるような下着は無いものか。
スポーツブラやカップ付きのタンクトップも検索してみたけれど、まず両手を挙げて脱ぎ着する時点で負荷がかかる。バンザイをする体制は、ひきつれてキツイいのだ。
仮に下から履くようにしたとしても、胸に上がってくるまでに腹部の傷は確実に摺り上げられる。毎回大騒ぎだろう。
はて・・・どうしたらよいのだろう・・・
衣食住とはよく言ったものだ。
肌に直接触れて、毎日身に着ける下着。
まさに生活の必需品だ。
しばし考えて、ブラは「乳がんの術後」で。ショーツは「帝王切開術後」で。それぞれ調べてみた。
凄い。こんなにたくさんの種類があるなんて、知らなった。
これまで気にしていなかったけれど、実に様々な工夫がされている。
鼠径部のリンパを圧迫しないように、足回りのカットの形が工夫されていたり、腰回りがテープ式になっていてウエスト周囲の変化に柔軟に対応できるようになっていたり。肌触りに特化したものがあれば、処置を考慮して通気性を優先しているものもある。
これだけ、からだに困りごとのある人達がいるということなのだろう。
検索するうちに、様々な声を拾い上げてそのニーズに応じようと商品開発をして下さった方達に対して、感謝したい気持ちでいっぱいになった。
「こんなものがあったらいいな」というその願いが商品となって、誰かの助けになっているのだから。介護用の前開きの下着も、今ではメジャーになったけれど少し前までは無かったものだ。縫い目をあえて外側に作ってあるものも最近では珍しくなくなってきたが、初めて見た時にはなんて画期的!と感動したものだ。
眺めていると、ひとつの商品が目に留まった。
これは、ゴムも縫い目もない。布が断ちっぱなしになっている。
そして、肌に当たる洗濯タグもない。表示は布に直にプリントされている。
トップスはかぶるタイプではなく、フロントホックで着脱しやすい。
しかも肩の部分が幅広く、面で覆ってくれるから負荷も少ない。
どうやらほどよい伸縮性があり、傷の保護目的に当てているモイスキンパットも固定してくれそうだ。
これだ!これしかない!と嬉しくなった。
最速で配送してくれる現代のシステムにも、深く感謝だ。
自分に必要な情報が得られて、家に居ながら手に届く。
恩恵にあずかるとは、まさにこのことだと感じた。
手に取った時、そして身に着けた時の理想に近い着心地といったら。
ほっとして、ちょっと涙ぐんでしまった。
私が消化器外科に勤めていた時に、人工肛門を造った方を担当させて頂いた経験がある。お腹に張るストーマパウチ。その頃は目立たない肌色の袋がやっと出始めた頃で、それまでは外から排泄物が直接見えないようにと、可愛い生地で袋を作ってカバーにしたり、袋がちょうど良い位置になるように腹帯や下着に穴をあけてマジックテープで留めたりと、ご本人も一緒になって現場で創意工夫していた。
変化した身体に適応しようとする人間の力は、本当に凄いと感じてきた。
変わった事に衝撃を受けて暫く立ち止まったとしても、その後は再び進み始めていく。状況を嘆き、ただ耐えているだけでは生きていけない。
否応なく生活は続いていくし、時は流れていくのだから。
そう、進むしかないのだ。
そして進むのならば、そこに少しでも喜びを見出したい。
変化はひとつの喪失体験だ。
でも決して失うばかりではなく、得るものもあると私は思って生きている。
新しいからだと生きて行こうと心が前を向いて動き出した時、閉じてしまいそうに思えた道は、少しずつ開かれていく。
きっと、この先も何度も何度も、そうやって進んでいくのだろう。
※以下、私がお世話になった下着写真を載せています。
抵抗のある方はご覧いただくのをお控えくださいね。