『カスハラ』報道の編集点
地上波のニュース番組や動画配信でカスハラの音声データが公開されてますけれど。
勿論それらは“事実”ではあるでしょうが、では“100%の真実”か?と言うと、それは甚だ疑問なんですわね。
ここでは企業・お店側の人を『担当者』、相手側を『ユーザー』と表記しますが、上記報道で公開された音声データは例外なくユーザーが一方的にガチ切れて怒鳴りまくるところから始まり担当者を脅しあげる所で終わっています。
その前段は無いのか?
もし公開された音声データが“100%の真実”だとするとあのユーザーは即入院レベルの精神疾患を抱えている事になります。
通常、というより殆どの場合あのガチ切れの前段がある筈なのです。
勿論、報道を扱う放送には時間という縛りがありますからやり取りの一部始終を余す所なく伝える、なんていうのは不可能です。
では何故“編集”によってガチ切れの前段部分が綺麗に削除されているのか?という事になる訳ですがそれは至って簡単な話で、
前段部分まで報道してしまうと世論がブレるから
なんですわね。
つまり、前段部分には担当者がユーザーを怒らせ、その怒りの火に油を注ぎ、更に風を送るが如くに煽り立てる、そんな音声が残されている場合が往々にしてある訳です。
私の実体験ですがね。
ある時二夜連続の夜勤があって一夜目を終えて眠りにつく寸前にケータイに着信がありまして。実名は出せませんから仮に《第1原発株式会社》としますがそこの営業部門の系列会社からのセールス電話だったんです。
おそらくパートのオバサンなんでしょうが、いきなりマシンガン並みのセールストークをかまされまして。こっちは4~5時間後には出勤せにゃならんというのに、です。
しかもこうした公式用件での電話で不可欠な「お時間よろしいでしょうか?」の一言すら無い。
つまり「貴重なお時間を申し訳ございません。このままお話続けさせて頂いても今、ご迷惑にならないでしょうか?」を集約した一言ですよね。
……切れまっしゃろ?
でまぁ、1時間ほど世の中は昼間に働いとるサラリーマンだけじゃなく夜仕事しとる夜勤者も居るんだという事と電話に於けるビジネストークマナーがなっとらん!言う説教をして涙声にさせた後、パートのあんたらを束ねとる責任者を出せ!と。
それで出てきたのが大卒2~3年目と思しき小便臭い小娘でして、声と言葉遣いでそんなのは分かりますよ!だから小便臭い訳でね。
その小便臭い小娘に「役職は何だ?」と訊きました返答が、
「申せません!…ただ、先ほどの者より上、という事だけは申し上げておきます(ドヤッ)!!」
……そら~、ガチ切れますやろ?
そこからはこちらが申し立てる苦情に小便小娘が一つ一つ自らの保身と「私は悪くな~い」理論に基づくトンでもな反論をしてくるもので、それらを懇切丁寧に一つ一つ木っ端微塵に論破しつつガチな説教をしてましたら4時間が経過。
ま、所詮有名というだけの牛丼大学上がりな小便臭い小娘の言い分など《叩き上げの口喧嘩十段》である私に通る筈もなく、槍折れ弓尽き果てる状態で大泣きさせましたですが。
後日、この小娘の上司という男性から電話がありましたけど、まずもって「夜勤だから17時以降は電話して来るな!」と言っておいたにもかかわらず19時に着信がありまして、それに文句を言いますと「(小娘からその注意事項は)伝えられておりませんでした」。揚げ句に私と小娘の間でどういう話が交わされたのか…即ち如何なるトラブルがあったのか?…が何一つ伝達されていなかったというから呆れてものが言えません。
「お前ン所の“ほう・れん・そう”はどうなってるんだ?!」
トドメに、問題の小便臭い小娘ったら、
「電話をとるのが怖い」
言う理由で出社拒否ですって。
小娘の分際で大人をナメくさった態度と無責任かつ自己保身に終始した言動をとるから逆鱗に触れたのであって、虎の尾を踏んでおいてそれで襲われたからといって「虎が悪い」は通りませんやろ?
全ては小娘の自業自得であって、それでどれだけのダメージを被ろうと相手(私)のせいにするのはお門違いというもの。
これだって初っぱなのパートのオバサンの件や小娘の「申せません!…」辺りの件をバッサリ切った上で報道されたら、私が頭のおかしいカスハラ野郎となる訳ですわな。
で、そうなると報道としては各社一律に、
「カスハラ、いけませんよね~。一方的に怒鳴りつける“言葉の暴力”いけませんよね~。防戦一方の担当者さん、可哀相ですよね~」
という世論形成をしたいのに、ユーザーが切れたのにはそれ相応の理由があって、担当者の不手際やその後の稚拙かつ杜撰な対応、更に終始不誠実な態度があった…なんていう前段が明るみになると、カスハラや一方的な言葉の暴力はダメに決まっているけれどそうなる前にキチンと誠意ある対応をしておけばそこまで切れなかったんじゃないの?……なんて話になると世論がまとまらなくなる。即ち報道の存在意義が揺らぐ事になるんですわ。
実は報道の存在意義に世論形成や先導なんてものは…戦時に於ける報道統制下にあった場合を除いて…無い筈なんですが、例えば全国紙による読売は政権ベッタリ、朝日は左派、産経は右派、毎日は中道、のような大雑把な色付けがされているにせよ、しかし根本の誘導すべき世論はそれがあたかも『道徳=人の道』であるかのように一律なんですわ。
もっとあからさまに言ってしまえば、担当者を一方的に怒鳴りつけるユーザーが悪い、以外の価値観を国民に持たせてはいけない、という不文律が何処かに存在している、という事です。
しかしこれが珍妙で歪んだ価値観である事は皆さん分かっていらっしゃる。
夫婦喧嘩にせよ兄弟喧嘩にしても、あるいは世の中にあるありとあらゆる揉め事に於いて、AとBどちらかが一方的に100%悪い、なんて事がありますか?
全ての諍いに於いてA、Bどちらにも多少なりとも非があって、その非の比重によって正しいか正しくないかの判断が下される、これが健全な解決ですわね。
ところがネットの発達とともに少しでも落ち度があった、多少なりとも罪を犯した人間に対し「100%お前が悪い。全人格を否定する」という世論の流れが出来てしまった。
この不健全な世論の流れは様々な悲劇を呼んでいる訳です。
勿論、担当者に全く非が無いケースも少なからずあるでしょう。しかし、全容を知ってみると「どっちもどっちだわな」な話も多いと思うんですがね。
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