人生を狂わす情報ウイルス
Branding Photographer & Videographer の Kokoro です。
前回の note では 安心感をデザインする という記事を書きました。
安心感というものは、カタチあるものではないがゆえに
それを目に見えるカタチで求めることは無理があります。
しかしながら、実体としては存在しないものの
安心感という感覚的な “それ” は自分自身の中に存在し得るものです。
安心感を生み出す装置とは
日本人が古来より備え持っていた身体の意識である “肚” なのです。
現代人のほとんどは、この肚が失われてしまっています。
(今回の note では、この話を書き出すと長くなるので割愛します)
肚の意識が備わっていると、どのような恩恵があるのか、それを一般的な言葉で表現するとしたら
地に足をつける、という状態で生きているということです。
より具体的な話を例にあげてみたいと思います。
今は超情報化社会です。
日々、膨大な情報を自ら受け取ろうとせずとも
膨大な情報を浴びまくっている状態で生きていると言えます。
そのような状況の中で生きているわたしたちは
その膨大な情報を処理することができません。
膨大な情報を処理しているのは、いうまでもなく脳なのですが、
脳にも処理能力の限界があります。
情報処理の限界を超えると
脳はいわばオーバーヒートの状態に陥ってしまうのです。
オーバーヒートに陥ると、本来の働きができなくなることは容易に想像できると思います。
このような状態に陥ってしまうと思考停止に陥ってしまうわけです。
思考停止に陥ってしまうと、適切な判断ができなくなります。
それはつまり、自分の頭で考えることができない状態になるということですね。
その結果、人はどうなるのかというと、簡単に情報に流されるようになるのです。
世間の、大衆の空気感に流されてしまう、ということです。
これが非常に危険な状態なのです。
もともと日本人は空気感を読むということに関しては長けている民族ではありますが、それが良い方向に発揮されるのであれば良いのですが
思考停止状態に陥ってしまう人の空気感を読むという状態は、
大衆や、周りの意見に非常に流されやすいという負の方向性に発揮されてしまうのです。
今まさに、そういった状況が起こっているのですが、そのことに気づいていない、認識できていない、という状態であれば
それは思考停止状態に陥っているといっても過言ではありません。
肚を失っているがゆえに、自分の頭で考えることができなくなっているのです。
これは補足的にお伝えしておきますが、人間性とか、性格とか、そういった問題ではないということです。
人格否定、人間否定ということではなく
肚という身体の意識、装置を失ってしまったことによる弊害なのです。
思考停止状態の人を増やせば増やすほど
世の中を良くない方向にコントロールすることができます。
自分の頭で考えられず、大衆の空気感に流される、という特性を利用して良くないことを考える人が、自分の意図する方向へ誘導しようと
空気感をつくり出し、コントロールする術を活かせば大衆は簡単に動かされてしまうのです。
なので、世間ではこう言っているから、とか
周りはこう言っているから、とか
多数派の意見や考えを、自分自身の頭で様々な視点で(広い視点)で捉えることができない状態というのは、思考停止状態であり、肚が失われている状態であるということなのです。
逆に肚があるというのは、どういう状態なのかというと
肚があれば、頭に(脳に)エネルギーが偏ることがなくなります。
脳のオーバーヒートっていうのは、結局のところ
カラダにおいて脳をつかい過ぎているということなのです。
先ほどエネルギーという言葉をつかいましたが、
エネルギーというのは熱エネルギーをイメージして頂くと理解しやすいと思います。
寒いときに、エアコンやストーブで室内を温めても、空気が暖かくなるのは空間の上の方ですよね。
熱エネルギーは上へ上がりやすい性質を持っているということからも、このことを体感的に理解できるのではないでしょうか。
これと同じことがカラダでも起こっているのです。
カラダの中で脳が情報処理ばかりに追われていて、冷却する装置がなければ簡単にオーバーヒートしてしまうわけです。
肚の意識が備わっていると、
上に上がって行きやすい熱エネルギーを抑えることができるのです。
腑に落とすという言葉があるように
肚が備わっている人は、脳で思考するよりも先に
肚を含めたカラダで思考しています。
頭で、知識をこねくり回して考えるのではなく、
自分自身のカラダを通して、まずは情報を受け取り考え、その後に脳に情報処理をさせているという流れがあるのです。
肚が備わっていない人は、カラダで受け取ることなく、いきなり脳に情報処理をさせてしまっているからオーバーワークになって限界がくるのです。
話を戻して、肚が備わっていないことの弊害としてあるのは、
次々に入ってくる情報に、意識が囚われてしまうことです。
これが今回の note のタイトルでも書いた情報ウイルスという言葉の由縁です。
腹が備わっていない人は、不安や恐れの感情に支配されやすく、不安や恐れの感情を抱えている人ほど、外部から入ってくる情報に敏感になっていて、自分の意識が囚われてしまうのです。
だから、客観的にみても、話をしていても
なんだかこの人フワフワしているな、と感じてしまうのです。
また、情報ウイルスに影響を受けやすい人の問題点として大きいのは、
外部から入ってきた情報を、全てネガティブで、マイナスな情報に変換してしまうということです。
本来、免疫力が正常であれば問題ないものを、ネガティブ、マイナス変換してしまい、自ら害を及ぼすウイルスへと変異させてしまっているのです。
肚が備わっていないがゆえに、様々な弊害が生じてしまう。
今回の話は、今世の中で、あなたの周りでも非常に良く見かけられる話だと思います。
本質的なところに目を向けて
自分自身のあり方、生き方を見つめ直すときがきています。
肚を失うと、不安定で、変化の激しい世の中を生きていくのが、本当に辛く、苦しい状況に追い込まれるでしょう。
話が長くなってきたので、一旦この辺で終わりにしたいと思います。
今回の note では情報ウイルスについての話をお伝えさせて頂きました。
今後も肚については、まだまだ様々な観点からお伝えしたいことがありますので、いくつか note を書いていこうと思っています。
今回の note で分かりづらかったことや、聞いてみたいことがありましたら、コメント欄に書き込み頂けましたら嬉しいです。
それをもとに、新たな note で書く内容を決める判断材料にもなりますので、よろしくお願いいたします。
最後まで読み進めて頂きまして、ありがとうございました。