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こどもの問いの背後には不安が隠れている     (マシューズ)

P4C in schools 夏のセミナー第1部での桝形公也先生の講演
「“子どもの問い”を現象学からみる問いの性格」は
“子どもの問い”がどこからやってくるのか?共に考える
とても示唆的な時間だった。

子どもの問いに迫る2つの視点

ひとつは、「子どもは小さな哲学者」を記したG・マシューズの
子どもの発達段階における経験と言葉の乖離の視点から

もうひとつは「ことばそのものの働きと結びつけて」
子どもの問いを考察した言語学者池上嘉彦を引用しつつ言語学の視点から

子どもが問いを発する世界
経験と言語と感情とが混沌と、まさに境界を動かしながら形成しつつある
豊かな子どもの内面世界を紐解いてくれたように感じている。

応えてはいけない子どもの問いがある

子どもが問いを発する背景には実に様々な要素、状況があり
それらを十分に理解することなく、
安易な答えを大人が与えてしまうことは
問うた子ども自身の生き方そのものにまで影響を与えてしまうことがある」

その背景の一つが不安
「サンタクロースは本当にいるの?」

今まで、単に子どもらしいファンタジックな微笑ましい問いだと捉えていた
この問いの背景に不安の存在を感じた時、どうだろう?
当然、この問いは科学的事実や根拠を求める類のものではなく
「サンタクロースがいないとしたら、どうしよう?」
「お願いしたプレゼントが届かなかったら、どうしよう?」
「本当にいるとしたら、住むところあるのかなあ?」
「もし、目が覚めてサンタクロースと会ったらどうしよう?」
この問いはきっと、そんな次から次へと小さな心に沸き起こる
不安の出口なのだ。

だとすると、安易な答えでフタをしてはいけない。
心の不安をぜ〜んぶ出し尽くすまで一緒に考えるのが大切ことかもしれない

「カッパは本当にいるの?」 「何でむしばになるの?」
「おにってどのくらいこわいの?」

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小学校3年生女児の出してくれた問い
背後に彼女の不安があることがひしひし伝わってくる。

これを書いてくれた時には思い至らなかった視点。
子どもは問い、考えながら、己の不安の出口を探して
安心、納得を得ようとして、答えを探している。

それは正解である必要はなくて
自分自身を守ってくれる、自分にとってのその時点の最適解

子どもにとってのファンタジーの価値
もう少し考えてみよう。と思っている。

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