自分が鬱かなと思った時。
今から1年前ほど前の高校2、3年の頃僕は
鬱病だったと思う。
先日、『世界一受けたい授業』で精神科医が進める本の特集をやっていてその中に若林正恭さんの「ナナメの夕暮れ」が選ばれていました。
この本に出会ってなければ僕はまだ毎晩泣いていたと思います。
僕が鬱病になった原因はある一人の友達です。
その友達はものすごくネガティブな人でした。
過去にいじめに近いイジリを受けていたらしく自分に自信がないらしく「一緒に遊んでて楽しい?」と何回遊んでも毎回聞いてくる人でした。
そんなネガティブ思考な友達は少しでも僕が違う人と話したり、遊んだり、冷たい対応をしたり、LINEの返信が遅かったり、すると
「もう俺のことが嫌いになったんだ」
と思い心を閉ざしてしまいます。
僕はその友達が大好きでそんなこと微塵も思ってなかったのでなんとか分かってもらおうと話し合い、なんとか機嫌を取り戻しました。
そしてこれが何十回とありました。
何度話しても、何度違うと言っても、何度「分かった」といっても結局わかってもらえない。
その友達の被害妄想のせいで僕は勝手にとても悪者にされていて、とても辛い思いをしました。
少しずつ、その友達が不安になるような行動はやめよう。と思うようになり
あ、今他の友達と話したらまた落ち込むかな
遊びの誘い断ったらまた落ち込むかな
何をするにもまずその友達にどう思われるかを考えるようになってしまいました。
そのくらい束縛されていたし、落ち込んだ時に分かってもらうのが難しかったので、普段はとてもいい奴だったから、落ち込まないように気を使いまくっていました。
そうするとどうなっていくか。
その友達と同じような思考になっていきます。
僕が他の友達と楽しそうに話してると「おれが嫌になったから他の人と話してるんだ」と思うのが友達の思考だったので
その友達が他の人と話してると自分も「おれが嫌になったから他の人と話してるんだ」と思うようになってきてしまいました。
またその友達の期限を損ねないように考えてると、これをこうするとこう考える、だからやめておこう。などとその友達の思考を予測してるうちに自分もそのネガティブ思考に影響されていき、
どんどんどんどんネガティブ思考になっていきました。
遊びたくなくても断ったら何て思われるかな
また落ち込んで俺は悪者扱いで、、、
いくら話しても結局また分かってもらえない
そんな未来が見えるので断れない。
自分の感情を押し殺してました。
そして、どんどん毎日がつまらなくなって
夜に自然と涙が出てくるようになりました。
そんな時に好きだった「日向坂で会いましょう」という番組で、MCがオードリーだったという繋がりでオードリーのオールナイトニッポンを聴き始め、どハマりし若林さんのエッセイ
「ナナメの夕暮れ」に出会いました。
このエッセイの後半。「ナナメの殺し方」という話が載っています。
これを読んで僕は泣いてしましました。
今の自分の不安に思ってるようなことの解決策が全部載ってる。そんな気がしたんです。
好きなことがある。それだけで朝起きる理由になる。という言葉(うろ覚えですが)など心に沁みる言葉がたくさん載っていました。
そして書いてあったことも実践しました。
(好きなことをノートに書くとか色々)
それから少しずつ良くなってきて
そのネガティブ友達とも少しずつ距離を置くことに成功して
(酷い時はお前のせいでこんな鬱っぽくなったんだ、とその友達をめちゃくちゃ恨んだりしていてずっと適切な距離をとり、良い関係になりたかった)
相談相手も出来て、鬱病的な症状も改善していきました。
それでもその友達とはまだ色々あり
結局、心がズタボロになり、また若林さんの本を読めば気持ちが楽になるかもと思い高校の帰り道に泣きそうになりながら、「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を買いに行ったりしてました。苦笑
僕の場合は鬱病と診断された訳でもないし
軽い方だとは思いますがとても辛かったです。
心が疲れてる時は何かに縋りたくなる。それが僕の場合は若林さんのエッセイでした。
でも冒頭でもお話ししたように精神科医が進めるほどなので、一度「ナナメの夕暮れ」読んでみてほしいな、、なんて思ったりもします。
最後に、もしこの文章で不快な気持ちをさせてしまっていたらごめんなさい。
読んでいただきありがとうございました。
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