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民主主義とは参加すること

今回の衆院選、僕は地元の野党統一候補を応援することにした。最近の自公政権の無策と傍若無人ぶりが許せなくて。
五輪開催を強行して医療崩壊が起き、空きベッドがなくて多くの人が家で亡くなった。政治家をかばうために役所の文書を改ざんさせ、やらされた職員は良心の呵責で自殺。与党が企業に発注して「Dappi」なるTwitterアカウントでデマを流し世論誘導してきた。株価を上げて金持ちを儲けさせる一方で、消費税を上げ賃金が低下して庶民の暮らしは厳しくなるばかり、自殺者数も増加に転じた。いくらなんでもこれはひどい、と思った。

首相は岸田さんに代わったけど、後ろにいるのはいつもの安倍・麻生・甘利。一部の上級国民が采配する政治を変えて、国民の幸せを第一に考える国に生まれ変わらせたいと切に願っている。

そんなわけで、応援するだけでなく、立憲民主党候補の選挙を手伝うことにした。事務所に行ってチラシへの証紙貼り、支持をよびかける電話かけ、駅前でのチラシ配り、候補者の写真や動画を撮ってSNSで拡散など、やれることはいくらでもあるし、野党はお金がないから常に人手が足りていない。効果が大きいとされる電話かけだって、一部のお宅にしかかけられないで選挙期間が終わってしまうのだ。

人手が足りないものだから、友人知人に「一緒に選挙手伝わない?」と声をかけた。でも、「一票入れるつもりだよ」と言ってくれる人は多いが、「やろうかな」と言ってくれる人はとても少ない。いつもSNSで世の中や政治への不満を書いているような人たちでも、腰が重いのだ。この「政治参加アレルギー」はどこから来るのか。

政党とか、党派的なものへの警戒心。周りの人にどう思われるか、という恐れ。一票入れれば自分の役割は果たしている、という勘違い(だと僕は思う)。何より感じるのは、この消費社会で染み付いてしまった「お客様意識」だ。
店に行けば「いらっしゃいませ」と丁寧に迎えられる。それに慣れてしまい、選挙も、陳列された商品を選ぶような意識になってしまっている。しかし選挙は、自分たちの代表を選ぶ手続きであって、僕らはお客様ではなく、主体なのだ。
そしてもう一つ、忘れてならないのは、今の日本では与党=自公が圧倒的に有利だということ。自民党は野党よりずっと多額の政治献金を企業・団体からもらっていて、電通を使って世論対策に力を入れているし、メディアも首相や現役閣僚の発言ばかり流して野党はあまり取り上げない。自民党総裁選は一般国民が関われないのに、衆院選よりずっとたくさん報道される。そんな風だから、放っておけば多くの人が感化されて与党に好意的になる。与党と違う考えを持つ人は、自分のいる場所から「気づきの輪」を広げていくしかない。選挙はそのための最大の機会だ。

今回、画期的なのは、野党4党(立憲、れいわ、共産、社民)が共通政策に合意し、史上初めて野党共闘が行われていること。衆議院小選挙区は定数1だから、野党候補が乱立したらほぼ勝ち目はない。今回、やっと国民が政権を選択できる選挙になったのだ。

選挙戦はあと3日だけど、この国の政治の方向性を変えたいと思う人は、ぜひ「政治参加アレルギー」を克服し、地元の野党(統一)候補の事務所に行って、何かできることはないか、ボランティアを申し出てみてほしい。そこには、あなたと同じような問題意識を持った普通の市民たちがいるはずだ。政党や組織の人たちへの警戒心は僕もあったけど、支えているのは一般市民。初めてプールに飛び込むのに勇気が要るように、最初は敷居が高かったけど、飛び込んでみたら新しいエキサイティングな世界が広がっていた。関わってみることで見えてくるものがあるし、文化祭のような楽しさ・面白さもある。別にその政党に入党する必要などない。今回、立憲を応援したとしても、次回はれいわや共産党を応援してもいい。そんな距離感。

そうやって「当事者」になると、選挙や政治が自分ごとになるはずだ。

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