まるで修学旅行なアンカラの旅
2024年のクリスマスは、オフがまとめてとれなかったため毎年恒例の年末年始の一時帰国ができず、ヨーロッパのクリスマス🎄ムードから脱出するためにトルコへ🇹🇷
飛行機で3時間ほど?なのでそれほど遠くもないけど、行った先では全く違う雰囲気が楽しめて、ちょうどいい旅先だと思ってる。
でもトルコに1人で行くと言うと、えーっ大丈夫?とか勇気があるねとか言われることも多い。
治安は大丈夫なの?とか。
やっぱり、みんな陸続きじゃないところのことは疑ってかかるみたい。
でもトルコ、怖くはない。
大丈夫。
この1年半の間にすでにイスタンブール、カッパドキア、アンタルヤを来訪済みなので、どこに行こうかと考えて、今回は冬だし海に行ってもしょうがないので首都のアンカラを選んだ。
首都なんだけど、あんまり旅行先としては有名じゃないというか、観光客が少ないのでゆっくり見て回れて好評、みたいなレビューが多かったアンカラ。
その前評判通り観光客向けのアクティビティはあんまり多くなく、観光名所は博物館などに限られていたので私は重要だと思える博物館関係に全て足を運んだ。
4泊で長めの滞在なので、そのうちの1日は日帰りバスツアーで近郊のどこかに行ければと考えていたけど、現地で調べたところヒッタイト遺跡のツアーとかは300ユーロを超えるような高額なものばかりで、諦めてずっとアンカラにいることに。
結果、少しゆったりと色々見てまわったので、トルコの近代史を深く学んで詳しくなった。
近代史って、残念ながら日本の教育ではほとんど触らないので、特に1900年代なんて激動なので、それぞれの国の状況などについては現地に行って博物館やそこで得られる文献を読んだりしないとなかなかわからない。
それで、今まで知らなかったトルコの歴史について、観光しながら知ることになった。
トルコ建国の祖と崇め奉られているのが、ムスタファ・ケマル・アタテュルクという人。
1923年にトルコの初代大統領になって、1938年に亡くなるまでトルコを近代化するために奔走した人物。
街を歩くと、あらゆる建物に彼の肖像画がかかっている。
まるで日本のお隣の国々のように、指導者の肖像画があちらこちらに…。
第一次世界大戦でオスマントルコ帝国が負けて、保身を図り欧州に擦り寄るスルタン(皇帝)の元ではトルコが消滅する危機があった。
当時トルコ軍の准将だったムスタファ・ケマルはトルコ本土に派遣されたんだけど、そこでケマルは現地の人々をまとめて独立軍を立ち上げ、自分は元の軍を辞して独立革命指導者となって戦った。
それまで国民意識の低かった人々に”私たちはトルコ国民として誇りを持つのだ”と愛国心を芽生えさせて、団結させた。
数年かけてギリシャや連合軍との戦いに勝利して、最終的にスイスの地で対各国との平和協定を結んだ後、トルコ政府を作ってケマルは大統領としてあらゆる改革を行った。
学校制度を整備してカリキュラムを導入。
女性にも平等な教育と社会的活躍を推奨。
政治と宗教を切り離し、イスラム色を弱くするよう誘導。
それまでなんと9割の国民が読み書きができなかったらしく、その理由がトルコ語をアラビア文字で上手く書き表せられず、発音と表記が合わないからだというのも大いにあった。
その問題を解消するため、独自の文字も組み合わせたアルファベットを導入して国で使う文字をアラビア文字からアルファベットに変更。
太陽暦のカレンダー導入に、数字も1234で書き表すようにし、メートル法なども導入。
民族衣装や階級を表す帽子を廃止して洋装をスタンダード化し、1934年にはそれまで存在しなかった苗字を導入。
それまでのトルコ人の名前は、固有名と父の名前を組み合わせたり、名・名とか名・地名、名・あだ名だったのを、国民全員が家族で受け継いでいく苗字を決めるよう取り決めた。
その際、本人は“トルコの父”という意味のアタテュルクという苗字を授かり、以降彼以外のいかなる人物もその名を固有名としても苗字としても名乗ってはいけないことになった。
永久欠番みたいな。
砂糖や綿の布地など、それまで国内生産されていなかった生活必需品は国内で生産するようになった。
一番最初に訪れた観光スポットがアタテュルク廟というところなんだけど、そこが一番心に残ってる。
アタテュルク廟は、彼が埋葬されている地で、高台に建っている立派な建物の中に棺があるんだけど、それより最も見どころなのが併設されている資料館。
資料館はドキュメンタリー形式で、独立戦争の様子を文章や絵画、等身大人形を配した展示でリアルに描いていて、独立後の改革についても当時の写真や新聞記事などを展示してあって、それを見て回るだけでかなり見応えがあったし、
最後の出口付近では、アタテュルクの実際のスピーチの映像がモニターで流されていて、それに聞き入ってしまった。
トルコ独自の産業を持つこと。科学や芸術を修めることの大事さ。
「あなたたちはなんと幸せだろう。自分はトルコ人であると名乗ることができるのだから」
と述べているのを聞いて、つい涙腺が緩んで・・・。
他にもアナトリア民族博物館、独立戦争博物館、共和国博物館、トルコ銀行の展示コーナーに足を運んだ。
トルコの学校は冬休みがどうなってるのか知らないけど、どこに行っても小学生から中学生ぐらいの学校の団体に遭遇した。
外国人を見るのが珍しいのか、小さな子たちに結構絡まれた。
その、西欧で出くわすような外国人を馬鹿にするような態度じゃなくて、そのトルコの子供達は純粋に外国人と話してみたいという好奇心で話しかけてきてるのがわかったので全く嫌じゃなかった。
多分、アンカラは外国人観光客がそうたくさんはいないんだと思う・・・・。
こういった博物館も、どちらかというとトルコ人向けで、校外学習とかに使われてる感じ。
トルコ銀行の展示スペースなんて、英語表記が一切なかったし。
やっぱり、英語の併記あるなしは大きい。
5日間トルコにいて、まともに英語で会話ができたのはホテルのレセプションとパフューム屋さんの若い女性くらいだった。
本当に英語ゼロな人が多かった。
日本に観光に行く外国人の人たちは、こういう気持ちになるのかなーとふと考えたな。
今回初めて、トルコ語のありがとうを覚えた。
あと、みんながよく「タマン、タマン」と言ってたの、多分どうぞ〜という意味なんだろうなと思った。
気候は、12月末だけどジャケットのチャックを閉めないで開けても平気だったし、ニット着てダウン着て歩いてると暑いなと感じるくらい。
10度前後で、オーストリアの寒冷地から行った身からするとだいぶ寒くなく感じた。
雨が降ったり止んだりで、道路がかなり汚くて靴も汚くなった。
歩き疲れて途中ホテルに戻りながらで、夜疲れて出かけられなくなった日もあったため少しゆるく回ったけど、もしもうちょっとハードに回るのであれば4泊じゃなくて3泊でも十分だったなーと思う。
あと、Googleマップが一部最新の情報じゃなかったりで戸惑うこともあった。
まとめ買いしてきたバクラヴァを今日食べ終わったので、私のトルコ旅行気分の余韻もそろそろ薄まってきた。
食べ物は、すんごい美味しいものには出会わなかったけど、ピラフがトルコ料理だというのを初めて知って、市中の簡素なピラフ屋さんで100リラで食べたチキン豆ピラフがかなり美味しかった。
食べ歩きですんごい蜜ひたひたのチュロスも食べた。
揚げたてで美味しかった。
パンと肉が続くのは苦手で、だからこういう系につい目が向いた。
あと、トルコはスープも各種あるのでそれは助かる。
ホテル朝食にはスープが日替わりであったし。
サラダや温かいおかずいくつかもあって助かった。
でも、トルコ料理は私にとっては毎日食べて飽きないジャンルではないので、やっぱり連日はしんどいというか
しかもアンカラ市中でアジア料理っぽいところは見なかったな・・・。
とにかく、トルコの人の毎日の生活を垣間見ることのできる街、それがアンカラだと感じた。
帰りの飛行機もほとんどがトルコ人だったので、ドイツに着陸して荷物受け取るまでがトルコにいるような感覚があったよ。
今度トルコに行く時はどこの都市に行こうか、楽しみ。