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二股の相手同士はなぜ喧嘩になるのか?

今日は、ふと思った、勝手な事、呟かせてもらいます。

ほんと、勝手なつぶやきと思って、大目に見て下さい_(._.)_

最初に謝っちゃう_(._.)_

では、いってみましょう。

今日の話題は、

二股の相手同士はなぜ喧嘩になるのか?

え?
そこに疑問持つ?
って思いますよね。

確かに、普通だったら、「当たり前でしょ」って片付ける疑問です。
ただ、ちょっと、頭が変なもんで。
何でだろう?って考えちゃうんです。

だって、
ミッキーマウスは、みんなから愛されている。
ディズニーランドに行く人は、みんなミッキーが好きで、
何股になってるか分からないくらい。

二股だと喧嘩になる、という定理があるとすれば、
ディズニーランド内は、喧嘩だらけになるはず。
「ミッキーは私のものよ。あなたいったい誰と付き合うの?」
と言って、ミッキーに選択を迫るのだろう。

でも、ディズニーランドでは、それが起こらない。
みんな楽しい。笑顔。
そして、ミッキーも笑顔。楽しそう。

何の違いがあるのだろう?

世間で言われる普通の恋愛。
それに当てはめると、ミッキーマウスのいるディズニーランド
そこは修羅場と化す。
でも、そうはならない。
みんなが楽しめる場所になっている。

人は、自分だけを見て欲しい。
そういう欲求があるのだろうと思う。
人の心を占拠したいと思うもの、なのだろうと思う。

それは、きっと、自分の心をそこに見るから。

自分の心が誰かに占拠されるように、
誰かにも、自分のことで心を満たしてほしいと感じる。

それは、どんな欲求から、出来上がる気持ちなんだろう。

自分という存在。自分の感情。
それが、誰かの心というスクリーンに投影されて、
それが感じられる。それが満たされる。
それが満足につながっているのだろうと思う。

そこには、自己の存在を認めて欲しい。
自分の存在を明らかにしたい。
という欲求がある。
だから、誰かの心が必要になるのだろうと思う。

この世界に、自分の存在を認める誰かが存在していれば、
その欲求は起こらない。
ただ、そういう存在がこの世に存在するためには、
自分が誰かのことを、条件関係なく認めることが必要になる。

この辺りの説明がちょっとややこしいのですが・・・(^▽^;)

自分が、誰かのことを、条件関係なく受け入れる、認める。
そうすると、この世界に条件関係なく認める人が存在することになる。
あの人は、カッコイイから好きとか、カッコ悪いから嫌いとか。
自分の事を気にかけてくれるから好きとか、気にかけてくれないから嫌いとか。
優しいから好き、優しくないから嫌いとか。
そういう物があると思います。

もちろん、好き嫌いがあって良い。
それは、違いなので。
ただ、そのうちの、好きは簡単に受け入れられるはずです。
嫌いという感情をどのように受け入れられるか?という事が大事になる。
嫌いでもいいので、それを受け入れること。
そうすることで、条件関係なく認められるようになります。

自分が誰かのことを、条件で認めている限り、
その人の世界には、条件によって認める人だけが存在することになる。

カッコイイから好き。→認める。受け入れる。
ダサいから嫌い。→認めない。受け入れられない。

条件を作ってしまうと、条件に当てはまる人だけが認められて、受け入れられるという世界になる。

それは、自分の心で思っていることなのですが、自分の心で思っていることが目の前の世界になります。
自分の心で思っていることしか、目の前の世界に見えてきません。

なので、
自分が、この世界の全て。
目の前の物、全部。
条件関係なく受け入れたら。
自分自身も条件関係なく受け入れられる存在になります。

ミッキーマウスは、全ての人を受け入れるし。
ミッキーを好きな人は、ミッキーの全てを受け入れている。
そういう前提があるから、ディズニーランドの世界は成り立っている。

自分の受け入れられたいという欲求が満たされるから。
相手から、不必要に受け入れられる必要もないし。
誰かの心を占拠する必要もなくなる。

でも、そういう感情って、
なんか味気ない気がするんですよね。
映画でいうならば、全く盛り上がらずに終わる映画。

やっぱり、愛とか恋とか、好きとか嫌いとか、
トキメキがあって、ドキドキして、激しい感情もあって、
そうやって燃え上がるから楽しくて、快感で、気持ちが良いものになる。
普段と違う場面、感情、感覚だからこそドキドキ、ワクワクがある。
映画だって面白い映画になる。

ただ、その燃え上がった感情は、ずっと続きません。
どこかで終わりが来ます。
人は慣れる生き物だから。
最初はドキドキした映画だって何回も見れば、慣れてしまう。
ドキドキ、ワクワクは、単純に未体験の未来予測でしかない。
恋愛感情って、そういう麻薬みたいなもの。
ドキドキ、ワクワク、ときめいて、素敵に感じるし、気持ちがいい、欲が満たされる感じ。

もちろん、その時の感情を、味わうのは構いません。
沢山味わって、楽しんだらいい。
それを楽しむのが、人生の醍醐味なのかもしれません。
ただ、それが落ち着く時が来ます、
その時のために、知っておくことが必要になる。

ドキドキはずっと続きません。
誰かの心を占拠したいと思っているということは、
自分の心が占拠されているという事。
おそらく、何かの我慢が自分の中にある。
自分が何を我慢しているのか考えて、明らかにしておくこと。

自分の我慢がハッキリして、自分が目の前の全てを受け入れたら、自分自身も受け入れられるようになります。
誰かの心を占拠しなくても良くなるという事。

二股の相手に対しても、
「私も好きなの。一緒だね。」って言って、すごく仲良くなってしまうかも?
って、かなりいっちゃってる考えですよね(^▽^;)

一人一人が、自分の存在を確立したら、
世界はディズニーランドのように、みんなが楽しめる、
みんながミッキーを好き。みたいな世界になるのかなって思います。

そこでは、誰もミッキーの心を取り合う事もないし。
ミッキーは誰に対しても平等で、誰に対しても笑顔で。
誰だって抱きしめてくれるから。
無理に取り合う必要がなくなる。

自分がミッキーみたいな存在になってしまえば、
自分の周りにいる人は、ディズニーランドにいるような感覚になる。
そう考えるとミッキーって凄い奴だな(゚Д゚;)

でも、やっぱり、
好きとか嫌いとか、愛とか恋とか、嫉妬とか妬みとか、
色々な欲や感情があるからこそ、映画が面白いように、
人生もそんな感情があるからこそ面白くなっているんだろうな。

う~ん。どっちがいいのやら(^▽^;)
どっちでもいいのか?(^^;)

そう思えると、悩み事も少しは軽くなるかなって思って。

あ、別に、二股を推奨しているわけではないんです。

なんでだろうな、って疑問に思ってしまっただけ(^▽^;)

すんません、

今日は、かなり勝手な事、呟きました(^▽^;)

こうだからじゃない?
って意見とかもらえると嬉しいです(≧◇≦)


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