念ずれば、花開く?信じるけど、期待はしたくないキャリア選択
(元のURL:https://www.dtto.com/f/jp_job/p/241911885?ref=ios )
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「光、人間はね、
普段の生活で使っている遺伝子は、
たったの2%だけなんだよ。
残りの98%は眠ったままなんだ。
だからね、自分を信じるんだよ。
こうなりたいと、思い描き続けるんだよ。
信じて取り組んでるうちに、
98%のうちに秘めてるお前の可能性に、
ポッとあかりが灯るんだよ。
念ずれば、花開くんだよ。」
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教育学やら仏教学やら脳科学について研究している祖父が上のように話していたのは、
どうやらジャンクDNAの話だったみたいです。
最近それを知りました。
(理系の皆さんに言わせればツッコミどころ満載なのかも😇ご容赦ください…)
こーゆー風に育てられたので、高校受験時代は素直にそれに従い、第一志望に合格しました。
(大学受験は滑って一浪しました。一浪して入った大学は大当たりでした。)
だからなのか、
就活に取り掛かり、うっすら自分のキャリアについて考え始め、「どんな仕事をしたいかな」と思った時。
「人がもつ力を信じる仕事がしたいなぁ。」
と。ぼ〜〜〜んやり、考えたんですね。
おそらくこれが、私が1番初めに見つけた自分の軸。
私がいずれは資格取得する予定の「公認心理師」も、まさにこれに当たります。
人が本来もつ力を信じていないとできない仕事です。我々が最初に諦めては、悩んでいるクライアントも悩み続けるままです。
大学の先生には、
自分自身の人間観が滲み出る仕事だし、道徳の感覚が問われる職業である
と言われました。若干身構えています🥶
日々、「道徳の感覚」とやらに向き合っています。
しかしですね、ぶっちゃけた話をすると、公認心理師が忙しい社会というのはあまりよくなくてですね😓
私たちが忙しい(というか、現場を見に行った時診療フロアの席が満席で、立って待っている人がいらっしゃるほど日本のメンタルケア現場は、すでに忙しいのですが…)というのは、それだけ心の風邪に悩んでいる人がいるということなので。
もちろん、医師や弁護士だってそうなのです。忙しくない方が、社会としてはよい(はず)。
けど、誰かがやらないといけないことでもある。
しかししかし。現状、公認心理師は雇用環境もよろしくなくてですね…😓決して高給取りとは言えず、非正規雇用の方のは何かしらと掛け持ちをして生計を立てているというのが現状なんですね。
だから以前、起業を視野に入れてる友達に「公認心理師・臨床心理士の雇用機会創出」について話したこともありました。いいアイデアだと賛同はしてもらえたし、個人的には日本もアメリカくらい頻繁に、美容室に行くくらいの感覚で、カウンセリングが浸透してほしいのですが………😮💨人間の抱える悩みの大半は、人間関係によるものなので…
脱線しました。
なんにせよ、大学院へ行く費用を稼ぐためにも就職してリカレント、という道を検討している1人です。
そして、就職するにしても「人が本来持っている力を信じる仕事」がしたい。
で、できたらマイナスをゼロにするだけでなく、ゼロをプラスにするようなの。
そうしていると偶然、「コーチング」という職種?を見つけました。
ここではコンサルティングやティーチングとの違いは省略しますが、
「おーこれこれ、こーゆーことがしたかったのだよ〜( ◜ᴗ◝)」と思って調べると…
どうやら、組織立った職業ではなさそうで。
フリーランスに近い?
独自のメソッドを開発してコーチとして大成し、セミナーやら講演会やらを開いたり本を書いたり、パーソナルコーチとして指導したりして、飯を食っていく模様…
そしてどうもこれは、うちのじいちゃんがやってることみたいなんですね…
ん…?七光………?( ◜ᴗ◝)
うちは父親もよくコーチング呼ばれてやってるので、七光どころか十四光くらい(何言ってるんやろ)になってしまう。
これは、肩身が狭そう……
コーチングは一旦断念。
ファーストキャリアにするのは、
自分の将来を狭めかねないと感じました。
教育分野もまさに、子どもやひとが持つ力を信じていないと動かない産業だけれど、
これもファーストキャリアとしては保留。
産業とはまた話が変わってくるけれど、
教師になった先輩方が口を揃えていうのは
「教師の世界は狭い」ということ。
社会人から教師になることはできても、
教師から社会人になるのはものすごく苦労するそうな。
(教職をディスるつもりは更々ありません。
先生というのは素晴らしい職ですし、私の祖母は国語教師として大変生徒に慕われ、葬式に50人以上の教え子さんが参列してくれてました。私はファーストキャリアにする勇気がないという話になります。)
視点を変えて、
コーチングとちょっとだけ似てるコンサルに注目しました。
ちょうど、冒頭のジャンクDNAについての記事を書いていたのが、人材・組織系のコンサルタントファームだったのもあります。
そしたら運良く、人材・組織系の日系コンサルタントファームで理念や事業に共感した企業がひとつあったので、ひとまずエントリー。
こんな感じで、手探りで就活を始めました。
そうしているうちに、また大学の先生が面白いこと言い出したんですね。
「信じることと、期待することは違うよ。」
お……😇なんか、盲点だった。
一応、先生の見解としては、
相手に押し付け始めたらそれは「期待」だし、
「信じて」いれば、言わなくても行動の端々に滲み出たりするから、
黙っていても「信じていること」が
循環していく。
信じているから、信じてもらえる。
信じてもらえているから、信じたくなる。
……一朝一夕でできることではないことはわかった😇
そういえば芦田愛菜ちゃんは、
「信じる」と「期待する」は表裏一体として話してたなぁ。
私個人としては、
「信じる」と「期待する」は
責任の所在が違うかなぁと考えたり。
以前の記事でも書きましたが、子ども本来が持つ力を信じることから子どもとの信頼関係はできあがってくると感じています。
けれど、子どもに期待をするのは、子どもの将来を狭めることになる可能性があるので、注意する必要があるとも思います。
親の夢は、親の夢。
子どもは決して、自分の分身ではありません。
立派な一個人なのです。
期待することそのものは悪ではないのですよ。
期待を「押し付けて」「他責思考になる」ことがまずいのだと思います。
期待して、それと異なっても、
「あ、自分が期待しすぎたな」で期待値をコントロールできれば問題ないのだと思います。
こうやって責任を自分に向けることができれば、「信じる」の範疇に収まる…?
責任を取れるようになるのが、大人になるということ?
私の敬愛するエッセイストさんは、
「期待するってことは、
少なくともそこには愛もあるんだよね。
そこら辺歩いている知らん人に、
期待なんてしないからね。
押し付けるからややこしくなる。」
的なことを言っていて、結構一理あると思う。
(気になる方は、「期待するというのはつまるところ愛なんだよね」とググってみてください)
ああ〜〜…難しい〜………🥹
思考体力にそこそこ自信がある私も、
すぐには答えが出ません。
「信じる」のと「期待する」の、
明確な違いを探すのが難しそうですね。
一年くらいかけて考えていかねばならない
テーマでしょう…(多分一年そこらで答えが見つかるもんでもない😇)
この答えを探しながら仕事することになるんでしょうか。
ひとまず今はコンサル以外を見てます(というかコンサルはなんか違うかもと感じつつある)。
出版も、IT・人材も、陸運も、美容・化粧品も。なーーーんでも見る。
最近は自分の好きなwebメディアを運営している企業が、25卒を採用するかどうか(24卒は募集なかった)を日々チェックしています。(望み薄いかな…?)
ひとまず現時点で志望している業界の長期インターンは決まりました。
運が良かった、いい波には乗れた…?
生かすも殺すも自分次第。
25卒のみなさーん、就活いっしょにがんばりましょうね〜〜〜。
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