人と違うのが当たり前
人と違うのが当たり前なのになぜか、なぜか人と違うと変わっている、間違っているかのような場の空気になるのはなぜだろう?
特に日本はそんな雰囲気が根強い
それは小さい頃からの”相手の意見を尊重しなさい、相手を敬いなさい。同じように行動しなさい。という教育
でも行き過ぎた気遣いや相手を尊重しようとすることに、しんどさを感じていないだろうか?
私はしんどかった
だから、小さい頃から疑問があった
なぜか意見が違うのに言えない、苦しい。上部だけの自分の意見
発言して人が喜んだとしても、賛同してくれていたとしても
自分に嘘をついているようなそんな自分がいた
けれど、大人になって分かったことの一つが、同じような悩みを抱えている人は
意外と近くに、そして意外とたくさんの人が思っていた
外の世界(国)へ出て初めて、自分の国や自分の育ってきた環境を客観的にみれた
私の経験を通して出た答えが
日本人は集団民族で、島国
そして謙虚な姿が美とされている
昔から発言する人よりも合わしてくれる人の方が好まれる
もちろん、集団で行動するにはみんながバラバラの意見では成り立たない
けれど、お互いが発言して意見を言い合うことが他の国よりも少ないと感じる
他の人と違っていい。これが100%正解、これは100%間違っているなんて
考えではなく、”あー、そんな考え方もあるのか。自分とは違うな”と
気づくだけでも大きな発見じゃないだろうか?
意見が言えなくて苦しい人はもっと自分を自己肯定していい
そしてどう自分の考えを伝えられるか、相手の意見も聞けて
話し合えるかでお互いの関係性や価値観が変わっていく気がする
〜余談〜
海外へ留学中、通っていた語学学校で、ブラジル人は文法がどんなにめちゃくちゃでも、ずっと発言していて先生にスルーされていたのに
日本人の私が入学後すぐに一言発言すると”あなた、本当に日本人?日本人は大人しいのに!他の日本のみんなももっと発言して!”と言われ、それだけで褒められました。どれだけ、日本人の発言が少ないのか気づいた瞬間
あとブラジル人とは馬が合うような気がしたのは
バランスがよかったのかな?笑
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