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久しぶりにちょっとだけ死にかけた【日記】

今生きている人のほとんどが一度や二度は死にかけたこと、あれは危なかったという経験をしていると思う。例えば、事故だったり重い病気になったとか色々ある。

僕も昔、バイクでコケたときは死にかけたな〜と思った。ショッピングモールの屋外駐車場から出ようとしたときに突風に煽られてビルから投げ出されそうになった。

その一瞬は「危ない!助かった」という思いで一杯になるが、喉元過ぎれば熱さ忘れるということわざはよく出来たものでその数日後には忘れてしまう。神社にお願いをするときは神様の存在に感謝するが、ほとんどの信心深くない日本人は、境内を出ると一瞬で忘れてしまうことと似ている気がする。

そうやって、危険と隣り合わせで生きていてもいつの間にか大切な危険予測を疎かにして生きていくのだ。危険なことを忘れられるから人は生きれるのかもしれない。

久しぶりに命の危険を感じた。今日、僕はちょっとだけ死にかけたのだ

仕事でグランピング施設を作るために、荒地の木々や雑草を切っては捨てるという荒々しい山男のような仕事の手伝いをしていた。

■ひと段落して、そろそろ片付けをしようかとなっていたときに事件は起きた。

荒地にあるボロボロのコンクリート製の板に何の気なしに乗った。他に地面よりも少し出っ張った部分があると乗ってみたいという小さじ一杯ほどの好奇心だった。

するとコンクリートの板は、絶妙なバランスで乗っていただけだったようで、グラっと揺れた。そのときに僕は思い出した、これは井戸の蓋だった。

あらかじめ、この付近に井戸があることを注意されていたのに忘れていた。

やばいと思い、咄嗟に渾身の脚力を発揮してなんとか落下を逃れた。ボチャンという鈍く大きな音をたててコンクリートの板は井戸に吸い込まれいき見えなくなった。

跳ね返った井戸水が僕の足を濡らした。

井戸は狭く、落ちても途中でつっかえていたかもしれないが、あとで深さを調べると4mほどの棒を入れてみても底には達しないくらい深く暗かった。

もし落ちていたことを想像すると恐ろしい。パニックになって溺死していたか、井戸に挟まった状態でTwitterとかを見ていたのかもしれない。井戸の中を生活拠点として選択する人生になっていたかもしれない。

井戸の中で生涯を終え、男版貞子、名付けるなら「貞男」というB級ホラー作品になっていたのだろうか。TSUTAYAで100円でレンタルされても一部の映画マニアすら見ることのない作品になっていただろう。

日々、生きていることは奇跡と偶然の賜物だと実感した。今はそう思っても、書き終えてしばらくすればまた忘れてしまうのだろう。

<おわり>
アマプラで無料で見れても貞男は見ないわ


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イワハシ
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