コロナという長期休暇が私に気付かせてくれたもの
先日、コロナに感染した。
その月は、仕事もプライベートもやらなければならない事が積み上がっていた。ちょっと休んで自分の好きなことをしたい。が、時間がなくてやらなければならない事を優先しているうちに時間がなくなり、またやらなければ・・・と時間に追われる毎日。
期限が迫っている仕事、自分でやると決めたものの時間に追われる日々、連日のワンオペ、夏休みに入り子供との夏休みの計画立て・・・やることはいくらでも湧いて出てきて翌朝には消えてなくなった!なんてことはなくむしろ横から色々入ってきて積み上がる一方。それを右から左へこなす日々。
なんとかひと段落し、ちょっと休みたい・・・。
そんなことを思った矢先、待ってました!とばかりに感染。
身体の免疫力も気力もだいぶ下がっていたところに上手くマッチング。
感染して、あ、これでちょっとまとまって休める。
そんな風にすら思った。というのもまとまった休みをとるというのが正直難しい。
仕事でも人がいない、忙しい・・・10日程まとめて休みます!なんて言えない。
みんなが忙しいのに自分だけ・・・という思いが頭をよぎるから。
感染となれば、就業規則に従ってある程度のまとまった休みをとるしかない!という状況となる。
多少周りに迷惑がかかるが、選択肢はもう休むしかないのだ。
最初の数日は、家族が次々と感染し病院へ搬送の日々・・・笑。
休むつもりが結局忙しい。ようやく後半、一度やらねばを横に置いておいて気になっていたけどやっていなかったことに着手。
それは読みたいと思っていた本を読むこと。
以前読んではいたもののまた心に浮上した本。
やらねば・・・がいっぱい積み重なっているから効率的に早くやらなければ。そんな思考となっていたことに気付く。
そもそも私の時間軸は早くない。むしろ幼少期からスロー。それを早く早く・・・休まるわけがない。それは私に合ってないのだから。
日常がワクワクではなく、常にやらねばマインド。心が喜ぶことではなく自分で決めた事をただただこなすで過ぎてゆく毎日。
まさに流れに逆らって一生懸命泳ぐ。けど、充足感は今ひとつ状態。
本を読んで
この休みも何か意味があるのでは?と思い始める。
そもそも自分で決めたやらねばを全部やる必要があるのか?
生きている意味って何?
できなかった時に感じる罪悪感は必要か?
そもそも私にはそんなにキャパがないんだからもう最初っからやりたくないものは捨てちゃえばいい。
やれなかったんじゃなくてやらない選択をすればいい!
全部は無理。自分のこれだけを決めればいい。
1つにフォーカスしすぎて他を犠牲にするのはやめよう。
やりたいことを車輪を回すイメージでバランスよく。
わからなくなったら自分の感覚でなんとなくワクワクする周りをうろつこう。
上手くいかなかったもデータ。
頑張って〇〇しなければ!は、自分で決めた義務感に執着していただけ。
これぞ捨てる技術!足すのは簡単。引き算が難しい。
何を残して何を潔く捨てるか。これは人によって価値観が違うからあの人の正解は私の正解ではない。誰も答えを教えてくれないし答えはない。答えは自分で決めて判断すること。
そんな言葉に出会ったのもこの休み中に出会った本から。
結局、時間の使い方(あれもこれも詰め込む)を判断していたの自分。采配は自分次第。
この休みで、フォーカスしすぎない・上手くいかなくてもよし!・好きにも時間を使うを決めた。
やっぱり必要だったから与えられた休み。流れに意味のないものなんかなくてどんな出来事にも意味があるを気付かせてくれた。
長期休暇は、考える余白を作ってくれて身体も心も元気にしてくれる。
立ち止まる時間を与えてくれる。そんなことに気付いた休暇。
気付かせてくれてありがとう、コロナ♡