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鬱になりかけて、カウンセリングを初めてうけた話

今年はじめから、悩んでることがあり、8ヶ月ほどやきもきしたあと、カウンセラーとお話しをした。

このご時世、あたり前に身近にあることのはずなのに、私には関係ないとわりきってた。心療内科とか、セラピーとか、鬱とかパニック障害とか。

私は強いの、と謎のプライドをかかげ。自分で問題解決をしてやるわ、と奮闘した日々を。

大好きだったお酒をやめ、運動を習慣化した。子供を産んでからやめていしまっていた、本をまた読むようにした。

私なりに奮闘した日々は、間違いでは決してない。ほめたたえてあげたいくらいに、習慣をかえることで自分は変わった。

それでも。

ふとした瞬間に涙がでたり、落ちるところまで落ちこんだり、急にハイパーな気分になったり、感情のコントロールがつかない日々。

前回の生理前、数十年当たり前につきあってきたPMSのときに、軽く死を思い描いた。そして、生理がはじまり正気に戻った時に、自分自身にぞっとして、ついに私は、カウンセリングを予約した。

日本人女性のカウンセラーで、アメリカで心理学を学んだ方。

何度か予約はとろうとしたし、連絡はすでにとっていたのに、そのたびに邪魔するプライドと、話を聞いてもらうだけでお金を払うの?と変な言い訳を繰り返しながら、私は理由をつけて予約せずにきたのだ。

本当は、対面がよかった。アメリカドラマでよくあるシーンの、狭い部屋のソファに足を組みながら座り、悩みを相談するのだ。

ただ、今はシンガポールにいないので、リモートでのみのカウンセリング。

ちょっと迷ったけど、しょうがない。

リモートで、カウンセリングをうけることにした。

結果。

私は生き返った。

問題は、解決されたわけではない。悲しい気持ちや、くやしい気持ちは、いまだに私の心に残ってる。

ただ、心の砂をはらってもらったような。目の前の霧が晴れたような、そんな爽快感がある。

昔から、自分のことをあまりしゃべらず、聞き役だった私。自分に起こる出来事は、冗談にし、ちゃかしながら、いままで生きてきた。

1時間半、というカウンセリング時間、10分で話し終えちゃったらどうしよう、なんて思ってた自分が信じられない。

私は、時間を忘れた。言葉は、次から次へとあふれでて、自然と涙があふれた。

気づくと、2時間たっていた。

制限時間30分もオーバーしている。

カウンセラーの方が、明確に何をしてくれたわけではない。適格なアドバイスをしてくれたわけではない。

ただ、プロにしかわからない方法で、導いてくれたんだろう。

ひとつだけ、私が何をするのが正解で、何をするのが間違いかわからない、と言ったとき、彼女は「あなたがしたいほうが正解です。」と言った。

心理学の本に書いてあるような、ありきたりな一文だけど。

本を読んで、あなたはあなたでいい、とかいう言葉。それらはもちろん間違いではない。心理学からきている言葉を、カウンセラーが話すのだから、かぶっててあたりまえだ。

ただ、自分の心の裏を話ながら、自分にむけてその言葉をいわれるのと、大衆に向けた心理学の本から、言葉を吸収するのは、大きく違うのだ、と思った。

心のもちようで、不幸が幸福になり、幸福が不幸になる。

心理学の本でよくみつける、ありきたりな言葉を、今、自分自身でかみしめる。



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