名残惜しむ 〜 ウィットな人間関係の豊かさと面倒臭さ 〜
今年の夏、いちばん楽しみにしていたイベントが終わった。
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岡山の「うらじゃ」というイベント。
…で、1年に一度再会する、いつものメンバーたちと、沢山楽しい話をして、沢山笑って、あっという間に時間が過ぎていった。
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気がつけば、0次会から居酒屋を何軒かまわり、翌朝5時にカラオケ屋を旅立っていた。
一見デメリットだらけのカラオケオール
カラオケでオールするとか、別に歌いたいから翌朝5時までカラオケ屋にいる訳ではない。
最後の方ぐだぐだだし、声もカスカスだし、眠たいし、一見デメリットしかないように思えることを、どうしてしてしまうのだろう?
そう考えたときに、「名残惜しさ」と「ウィットな人間関係」というキーワードにたどり着いた。
メリットは、余韻に浸り、同じ時間と空間をともに共有できること
人間だれしも「心地良い」と感じる空間には、長く居続けたいと思う。
もちろん「予定が終われば、すぐ解散したい!」と思うような活動や人間関係もあれば、
「ちょっと余韻に浸りたい。同じ時間をともにした仲間たちと、もう少し繋がっていたい。」と思うような活動だってある。
後者のような「名残惜しさ」を感じる人たちが複数いた場合、「じゃあ、もう少し一緒にいましょうか」となる。
カラオケしたり、おしゃべりしたり、カタチはそのときどきだが、
結局は、余韻に浸って、同じ時間・空間を一緒に共有して、気持ちがつながり続けていることが大切なのだと思う。
「余韻に浸る」とは、味わうこと。非効率の中にある豊かさ。
機械であれば、事務的に淡々と作業をこなしていけば、いいんだろうけど、人間の場合は、そうはいかない。
むしろ、そこに人間の醍醐味があるといっていい。
「みんなで大変だったけど、やり遂げた!」
その達成感に浸るということ。チーム全員でともに共有し合う場を作るということ。
そこには、非効率だけど、だからこその豊かさがあるんじゃないかと思う。
★★★
「充実した人生をどれだけ過ごせたか」って、自分の感情をどれだけ震えさせることができたかだと思うんだよね。
人生生きていたら、色んなことが起こるけど、見ないフリをして、感情にフタをするのではなく、ひとつひとつのことにキチンと向き合うことで、
多くの感情を味わって、自分の人生を生きていきたいね。
ではまた!
しゅんたろう