医療的ケア児の修学問題から考える、“みんなが生きやすい社会”
先日、ハートネットTVで“医療的ケア児の修学問題”について、生放送で取り上げられていた。
このnoteでは、番組の感想とそこから考えた事を書いてみる。
“医療的ケア児”とは
“医療的ケア”とは、日常生活の中で行われる医療行為を指す。
そして、それを受けている子どもを“医療的ケア児”と呼ぶ。
※ 以下、“医ケア”、“医ケア児”とする。
近年の医学の進歩により、医ケアを受けながら生活する子どもは増加している。
平成30年度に行われた調査では、およそ20,000人との報告が出されている。
※ 参考: 平成30年厚生労働省科学研究 田村班報告
具体的なケアとしては、次のような内容だ。
・気管切開をし、人口呼吸器を装着している
・気管切開部や口、鼻の吸引
・鼻のチューブや胃に開けた胃ろうからの栄養・お薬の注入
※ 上記は一例。
医ケア児の就学の実態
そんな医ケア児の就学は、大きな壁にぶつかる。
“地域の学校か、支援学校か”という以前に、“そもそも通学できるのか”という問題がある。
医療の有資格者(医師、看護師など)でないと、医ケアに対応できないので、有資格者の居ない“学校”で子どもをみるのは難しいからだ。
最近では、“学校看護師”が配置されて、校内での子どもたちの医ケアを担っている。
しかし、地域差が大きく、支援学校であっても、充分に看護師が配置されていなかったりする。
それぞれの就学先
番組では、就学しているお子さんを持つご家族二組と、未就学のお子さんを持つご家族一組が出演していた。
就学している二組のご家族はそれぞれ、地域の学校と支援学校を選んだ。
就学前は、それぞれ、幼稚園・保育園で過ごしていた。
それぞれのご家族がそれぞれの就学先を選んだ理由については、「幼稚園で本人がすごく楽しそうにしていたから」(地域の学校を選んだご家族)、「子どもに合ったペースで教育を受けさせたい」(支援学校を選んだご家族)であった。
登校中は親の付き添いが必要なケースも
未就学のお子さんを持つご家族から、“保護者の付き添い”についての話題があった。
“学校側が心配”などの理由から、看護師が配置されていても、医ケア児の通学にあたって“保護者への付き添い”を求めるケースが多いのだ。
学校に居る間、親は子どもの教室の隅っこに置かれた机と椅子で仕事をしているらしい。
※ 教室とは別に、保護者が待機しておく部屋を用意している学校もあると聞いたことがある。
「保護者が一緒に居るのは良くない」と学校や教育委員会に伝え続けた結果、二組のご家族それぞれが、“保護者が居なくても看護師によって医ケアを実施してもらえる”ようになった。
就学の相談は早めに
医ケア児の場合、学校看護師の手配や校内のスロープやエレベーターの設置など、クリアしなければならない問題が多いため、なるべく早くから教育委員会や就学予定の学校と相談しておくと良い。
私が考えた事
番組のメモはこれで終わり。
ここからは、私が考えた事を書いてみる。
医ケアの有無だけで、教育を受ける機会が制約されてしまうのは、とても悲しい。
地域の学校でも支援学校でも、本人・家族の望む場所で教育を受けられるようになって欲しい。
もっと言うと、“支援学校”という概念が無くなって、どんな子も“地域の学校で学ぶのが当たり前”になって欲しい。
国は、最終的にはそれを目指しているんじゃないかな。
そうであって欲しい。
生活していくなかで困りを抱える子どもの教育には、専門的な知識を持った職員の配置や特殊な機器の設置、学校施設の改修など、多額の費用や多くの時間が必要になる。
でも、それを行政の決まり文句「前例が無いので」で片付けられてしまっては困る。
行政にはもっと“挑戦”して欲しいと思う。
ただ、どうしても難しい場合もあると思う。
そんなときは、「難しいです」と諦めるんじゃなくて、“どうしたらできそうか”を一緒に考えて欲しい。
教育をする側も受ける側も、お互いが納得したうえで、その子にとって、より良い教育が受けられるように。
それから、校内だけでなく、“通学中”も、ケアが受けられると良いと思う。
そうすれば、保護者にまとまった時間が確保できて、その時間で就労したりすることができる。
※ 一部の自治体で医ケア児の通学支援が試行されている。
“医療的ケア児支援法案”の提出時期が決まる
以前書いた“医療的ケア児支援法”の成立に向けて、少しずつ進んでいるようだ。
ネット上での署名活動が終了し、いよいよ法案を提出するフェーズにきたようだ。
この記事を公開した頃には、法案が提出されているはずだ。
この法案提出が、医ケア児とその家族の暮らしのより良い未来につながると信じて。
追記
無事、法案が提出されたそうだ。やったー!
ここからがスタート。
これからいろんな事があるだろう。
でも、きっと成立すると信じている。