陣中に生きる—15『昭和十二年 十月七日、八日』
二、上海戦線りゅう家行西方地区に於ける戦闘
昭和十二年十月 七日より
同 同三十一日まで
十月七日 雨
― 初戦 ―
三時起床、四時半出発準備完了。
五時、闇をついて出発。
歩兵部隊と合流したので、渦を巻いての混雑である。
遠く近く銃砲声を耳にしながら、無我夢中で歩きつづける。
八時、大休止、朝食。
おかずは皆無である。
不慣れの馬が多いので、はや疲労の色を見せ、中にはドサリと寝てしまうものもいる。
途中で初めて駄載(ださい。大砲を分解して六頭の馬にのせること)をすることになり、ちょっと心配したが、案じたほどではなかった。
十時半、月浦鎮着。
朝来の雨は、ますます激しくなってきた。道路は油のようにすべるので、馬がちょいちょい転倒しかけた。
そのたびに、砲手・馭者の苦労は一方でない。
十二時四十分、りゅう家行西方一粁のT字路に出た。
このあたり、いわば舞台裏であり、人馬の往来がはげしく、泥ねい悪路どころか、まるで泥沼である。
われわれはここで、予期しない強敵に遭遇した。
だが、どんな敵にぶつかろうが、へこたれることは許されない。
不可能を可能にとばかり、かん然として泥にいどんだ。
文字通り、どろんこの行軍をつづけた。
そして夕暮近くに、林家宅に到着した。
ここがわれわれにとっての、初戦の陣地だった。
雨のしみ込んだ棉畑は膝を没するまでにぬかり、卸下(しゃか。大砲の部分品を馬からおろして組立てること)は難じゅうをきわめた。
と、その時、すぐ後方に、ドスッという妙な音⁉
なにやら分からぬままに操作をつづける。
こんどもやはりその辺に、ゴー然たるさく裂音!
敵の迫撃砲にねらわれているのだ。
<一発も撃たずにやられたら死んでも死にきれない>
瞬間、不安が電光のようにひらめく。
切歯、残念がる。
しかし、不発が多く、おかげで無事にすむ。
小銃弾は、なおもさかんに飛来する。
通行のじゃまになるので、通路の西側に陣地変換。
ただちに掩体(えんたい。弾丸よけ)を造って遮蔽(しゃへい)する。
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