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「サファイア」湊かなえ著

同著者の「告白」を読んで衝撃を受けたので、以前から気になっていた「サファイア」を読みました。
「サファイア」は、全7篇から成る短編集です。

あなたに、いつか「恩返し」をしたかった──「二十歳の誕生日プレゼントには、指輪が欲しいな」わたしは恋人に人生初のおねだりをした。
「やっと、自分から欲しいものを言ってくれた」と喜んでくれた彼は、誕生日の前日、待ち合わせ場所に現れなかった……(「サファイア」)。
人間の不思議で切ない出逢いと別れを、己の罪悪と愛と希望を描いた珠玉の物語。

角川春樹事務所

注意書き

私が持つ『価値観』という色眼鏡から見た作品の感想です。

以下、ネタバレ含みます!



単刀直入に言うと、好みの小説ではなかった。
(湊かなえさんの代表作、「告白」を読んで期待値が高すぎたのかもしれない。)

好ましくないと感じた理由は、全ての作品で、出来事にそのまま流されている、受け身な生活を送っている登場人物ばかりがフォーカスされていたからである。そして漏れなく彼ら/彼女らは、他責思考であり、作中、自らの力でどうにかしようとするような描写が殆ど見られなかった。ゆえに作品が、努力もせず、自分を悲劇のヒロインと思い込み、ただただ現状を嘆いているだけの物に感じてしまった。

例えば、最初の短編「ムーンストーン」に登場する女は、「ムーンストーンイチゴ味」が無ければ私の人生は何もない、と言う。そして親友を殺し親友に成り代わった理由を、母の束縛から逃れるには「こうするしかなかった」と言っている。これらの発言と行動は、彼女の人生の不利益は自身の選択では無く他者から与えられたものであり(外部帰属)、そしてそんな人生を好転させるには私以外の外部の力が無いとどうにもできない、という考えである。

また「サファイア」の主人公も、詐欺まがいの商品を買わされたことに怒り狂い、彼氏を殺したのかもしれない女の像を夢想し、そんな人の幸せを妬むだけの女を嫌悪しながらも、人にものをねだることのできない自身の性分を、自分自身の責任では無く親の責任だと考えている。つまり、他責思考の女を厭悪する一方、自分自身も他責思考であることに気づいていない。

「猫目石」に出てくる家族も同様である。娘は、「私の親も犯罪者」だから売春してもいいと述べている。そしてその言葉を聞いた親は、娘の売春を止めることをやめた。娘は親が犯罪者なら、自分の体を安売りしていい、つまり自身の価値を軽んじていいと考えており、親も罪を犯してしまいそれを知られているのであれば、自分に娘を導く権利は無いと、努力を放棄している。

誰でも失敗は犯す。立ち直らせるのは外部からの働きかけではなく、自分自身でしかできないのに、何故それができないのか。それができなくとも、他者に責任をなし付けるのではなく、自分を咎め、改善しようという考え方はできないのか。登場人物が現況を嘆き、周囲を恨み、自暴自棄になる姿を見るたびに、私が「そうはなりたくない」と思っている姿をまざまざと見せつけられているようで、そしてそれが作品を通して改善されることがない為、この作品を好ましいと思えなかったのだと感じた。


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