見出し画像

結局は、辞めてしまいました

「疲れたからゆっくりしたい」
「ママはゆっくりできないよ、週3日は働いた方がいいと思うよ」


結局、会社を辞めてしまいました。

重度障害児の息子を育てながらでも、娘も育てながらでも、仕事との両立はできるという根拠のない自信だけはありましたが。そのために、家電を取りそろえたりしましたが。結局は、会社を辞めてしまいました。

我が家には脊髄髄膜瘤で生まれたので、生まれつき歩けない実際の息子がいます。
その息子は、歩けない立てないので重度の身体障害児になるのですが。車椅子以外はごくごくフツーの10才の小学生男子です。

あと、我が家には、小学校1年生の現在までイヤイヤ期がずうっと続いている娘もいます。


で、結局会社を辞めてしまいました。

勤めていた会社は、車椅子の息子が生まれる前の10年間と、生まれてからの10年間ほどの合計20年間も続けていた会社でしたが、結局は辞めてしまいました。

というのも、車椅子の息子の育児と、娘の育児を抱えていると、生活がギリギリなんですよね。
ギリギリっていうのは、スケジュールみたいなものもそうですし、精神的にもギリギリだったんですよね。

スケジュールでいえば、車椅子の息子は、自分では歩けないし立てないので。
朝のやることは、トイレのお手伝いから始まり。
車椅子の息子を小学校まで送っていき、私は仕事に行って。夕方に仕事が終わったら、息子を小学校まで迎えに行って、定期検診などがある日は病院に連れて行ったり、リハビリがある日はリハビリの病院に連れて行ったり。
その後に帰宅して、夕食を作り、子供の宿題を見るという生活ですね。

これが、保育園の時から、小学校5年生の今まで、ずっと続いているんですよ。

もちろん、全部を毎日自分だけがやっているわけではなくて。夫やサポートしてくれる人にはできる限りお願いしていたのですが。それでも手が回らない。

これがもし息子が健常児だったら。
小学校5年生くらいになると、自分で小学校へ通えるようになるので、送り迎えだけは楽になったと思うのですが。息子は歩けない。

重度の障害児は、小さい時みたいに、サポートがたくさん必要になる生活が、小学校高学年になっても続くんだなと身にしみて感じました。

そういったことが頭では分かっていたんですが。実際には分かっていなかったですね。

子供が成長すれば少しは楽になると希望があれば。あと少し子供が成長したら少なくとも送り迎えだけはなくなるから、とりあえず今を頑張ろう、とはならなくて。

あと何年、この生活が続くんだろう。

となって、今を乗り切ろうという活力が出なくて。精神的にもきつかったですね。


というわけで、結局は、仕事を辞めてしまいました。

やろうと思えば、あと5年くらいは仕事と、車椅子の息子の子育てと、娘の子育ての両立も続けられたと思うのですが。腹十分目の疲れ具合で辞めておいた方が、自分の健康を守れると判断です。

と言っても、辞めた後のことを決めずに辞めることにしたので。

「疲れたからゆっくりしたい」
とつぶやくしかなくて。

私のつぶやきを車椅子の息子が拾ってくれました。


「ママはゆっくりできないよ、週3回は働いた方がいいと思うよ」
「でも疲れたし、10年間、今の仕事と育児しかしてこなかったので、次に何をしたらいいのか分かりません」
「今の仕事と育児をやればいい」
「もう会社を辞めることにしましたが」
「仕事と育児をやればいいよ」

なるほど。
仕事と育児、つまり育児を仕事にすればいいのですね。その線で探してみます。
子供はなんでも知っていますね。


というわけで、重度の障害児の子育てと仕事の両立ができなくて、結局は会社を辞めてしまいました。

そして、子供のアドバイスどおりの次の仕事を探しています。

(追伸)
この記事がいいなと思っていただけましたら投げ銭をお願いします。









この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?