
【車椅子】息子が一人で小学校に通う
「無事だったんだね」
「‥何が?」
車椅子の息子が一人で小学校に通い始めました。
といっても、今だけの今週だけのことで終わるのかもしれないのですが。
ある日突然、
「今週は早く学校へ行きたいから、明日は一人で行くね」
と宣言をされて。
翌朝、学校へ行くための支度、一人でトイレに行って朝ごはんを食べて着替えてYouTubeを見て。
いつもより早めに、
「じゃあ、いってきまーす」
と家を出て行った。
自分の車椅子で。
あとに家に残されたのは、私と娘。
車椅子の息子の送り迎えをずっとしてきた親の私は、なんだか置き去りにされた気分。
そして、息子が置いて行ったのは親の私だけではなくて、自分のランドセルも置き去りに。一体、何のために小学校へ行っているのか。
我が家の息子は、脊髄神経が外に出た状態で生まれたので。
生まれつき、歩けない立てない人生を送っています。
そのため、息子は赤ちゃんみたいな時から車椅子に乗っているのですが。
車椅子の息子のそばには、常に親の私たちがいて、息子の送り迎えをしてきました。
そしてこれからも、親の私たちは、歩けない息子のために。
自分の体が動く限りは、息子の送り迎えをするんだろうなー、運命共同体だな、と思っていたのですが。
小学校5年生になった車椅子の息子が、
ある日、
「明日は早く学校に行きたいから、一人で学校へ行くねー」
と言って、本当に一人で、学校まで自分の車椅子で行ってしまいました。
今まではずっと親が車で小学校まで送って行ったり、徒歩で付き添っていたので。
突然、息子に置いて行かれた親の方は、何だか「ポツン」という表現がしっくりくる。
たぶん、一人で学校へ行くのは、今だけの今週だけの期間限定なのだと思うのですが。
来週からは、
「お母さん、明日からはまた車で学校に送ってよ」
と言うのだと思うのですが。
少なくともしばらくは、車椅子の息子は、一人で学校へ通う意思らしい。
それにしても、家から小学校までは距離にすると1キロ。
車椅子で20分ほどの距離にあり、さらに我が家は田舎に住んでいる。
この辺りは小学校まで集団登校もないので、学校までは田舎道を一人で歩く。
そのうえ、お金のある自治体のように歩道がツルツルに整備してあるわけでもないので。
車椅子には難関の、凸凹道のコンクリート道を行かなくてはならない。
おまけに、通学路といっても車道と歩道がきっちり分かれているわけでもない危険な場所もあり。
車椅子にとっては試練の上り坂も横断歩道もある。
つまり、親としては、車椅子の息子一人で送り出すのは心配のタネしか見当たらない通学路。
だからといって、
「一人で学校へ行ってきます」
という車椅子の息子に。
「外は危険がいっぱいだから、一人で行動しないで!!!」
と言うのは簡単だが。
これを言ってしまうと、息子は二度と一人で出歩こうとしないかもしれない。
なので、ここは親がぐっと耐えて、
「一人で学校へ行ってきます」と言う車椅子の息子に。
「気をつけてー」と、送り出すしかない。
のだが、心の中は心配で心配でいっぱい。
凸凹道を車椅子で転倒せずに進めるのか?
通学路の途中の坂道を、車椅子で登れるのだろうか?
横断歩道のルールは知っているんだろうか?
でも、家から小学校までの道のりであれば、同じ小学校に通う子どもや付き添いの大人がいるだろうから。
息子が事故にでも遭えば、誰かが119番通報をしてくれるだろう、そうやって気を紛らすことしかできない。
まあ、どのみち。
車椅子の息子はランドセルを家に置きっぱなしで出かけているのだから。
後から私がランドセルを持って、娘と一緒に小学校まで追いかけるのだけど。
で、車椅子の息子が小学校に到着したであろう時間に、息子のランドセルを届けに教室まで行くと。
息子はもちろん無事で、教室で学校の先生と話していた。
たぶん、自分のランドセルがないから、朝の準備もできないし、手持ちぶたさだから先生と話していたと思われる。
で、先生との話に夢中で、ランドセルを持って教室まで来た親の私のことは気にもかけてないし。
もちろん、自分のランドセルのことも気にもかけてない。
そこで、車椅子の息子にランドセルを手渡しながら、
「無事に着いたんだね」
と言うが。
息子は、
「‥何が?」
と親の心配は1ミリも分かっていない。
そして次の日も、車椅子の息子は、
「じゃあ、学校いってきますー」
と一人で出て行った。
もちろんランドセルは家に置いたまま。
息子の通院と、娘の育児と、家事その他と、ついでに仕事と、そのうえ息子の毎日の送り迎えで、体力も気力も時間も限界まで削られていた頃は。
せめて、車椅子の息子を学校まで送ることを、誰かに代わってほしいと願って。
ヘルパーさんを探したり、ボランティアさんにお願いしていた時期もあるのですが。
息子の送り迎えを誰かに代わってもらえたら、それだけでも楽になるのと願っていたのですが。
今は、
「一人で学校へ行ってきますー」
という息子を、
「気をつけて」
と、送り出す瞬間を迎えてしまいました。
そのうえ、車椅子で一人で学校まで行けるかどうかを心配して、
「無事だったんだね」
と言っても。
「‥何が?」
としか返事がない。
車椅子の子供の成長はゆっくりではありますが、
突然成長することもあるようです。
ではまた。
(追伸)
記事購入という投げ銭もお待ちしています。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?