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井の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る。
いろいろ見たり聞いたりすればするほど、
<井の中の蛙大海を知らず>だけど
<空の青さすら知らない>人が多いような気がします。
<井の中の蛙大海を知らず>
井戸の中に住む蛙は、その井戸のほかに広い海があることを知らない。
これを人間に例えて、見聞が狭く、世間知らずのことをいう。
また、世間知らずであるにも関わらずそれを自覚していないこと。
常識であると思っていたことが実は自分の世界に埋没しているだけであることを戒めた言葉。
日本で後付されて「井の中の蛙大海を知らず、されど天の高きを知る」
「されど空の青さを知る」などの造語もいくつか存在する。
すべての物事には、裏表いろいろな面がある。
片側だけまたはひとつの面だけを見て、それがすべて、それが世界のすべてだと思ってしまわないこと。
その後日本で後付けされたという「されど、空の青さを知る」という言葉は、今いる場所を出て見聞を広めれば広い世界を知り、広く浅く知識をつけることができるが、今いるひとつの場所にとどまってその道をきわめれば、
誰も到達できないようなより深い知識を得ることができる。
という意味になるようです。
どちらがいいか、悪いかではないんだろうなと思う。
狭い井戸から出て、広い海、広い世界を知るのか、
狭い井戸の中からじっと空を見上げて、その空の青さ深さを知るのか。
できれば、私はそのどちらも知りたい。
井の中の蛙はイヤだ。でも、空の青さも知りたい。
これが私の生き方のベースです。
どこかのグループに所属し続けることが昔からできない。
例えどんなに居心地が良くても、その仲間内の中だけで完結しているような世界を「これって井戸の中かも」と感じてしまった瞬間に外に出たくなる、というか気づいたら出ちゃってる。
その世界だけでしか通用しないことに魅力を感じることができない。
それがどれだけ私にとって有利な場であったとしても。
だけど、一時どこかにどっぷりと浸かること、狭い中でそこの世界の知識、
学びをがっつりと深めることは大好き。
だから時々、どこかに深く所属する時期が私の人生においてたびたびある。
人との関係においても、広く浅く付き合うのは大得意。
でもホントは、一対一で狭く深くじっくりと人とお付き合いする方が好き。
あなたはどう?
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