長福寺蔵 銅造菩薩立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)
萩原哉
1軀 像高27.0㎝
長野県上田市 長福寺
上田市下之郷の長福寺に伝わる白鳳時代の小金銅仏である。江戸時代に上高井郡小布施町都住で出土し、同地の吉沢家が草庵を結んで安置していたが、大塚巧芸社の創業者、大塚稔氏が譲り受けて長福寺に寄進し、昭和17年に信州夢殿と称する八角円堂を建立して、その本尊として安置されることになったものである。
蝋形を用いて一鋳したもので、 柔和な微笑をうかべた端正な面貌や、ウエストを強く絞って抑揚をつけた細身で伸びやかな肢体、自然で柔軟な衣文の表情が特徴的だ。白鳳時代の7世紀後半から8世紀初頭にかけて、当時の中央、飛鳥や大和を中心とする地域で制作された可能性は高い。
天武や持統朝が推進した仏教の全国への拡大政策とのかかわりのもとで、本像は北信濃の地にもたらされ、7世紀後半頃に千曲川流域に建立されたいずれかの古代寺院に安置されることで、仏教の普及・定着を促す役割を果たしたのかもしれない。 本像は、長野県に伝わる古代小金銅仏の一つとして貴重であるとともに、古代信濃国に仏教が広まった様子を示すものとしても重要な意義がある。