國華社

「國華」は岡倉天心らが1889年に創刊した日本・東洋美術研究誌です。世界最古の美術誌と…

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「國華」は岡倉天心らが1889年に創刊した日本・東洋美術研究誌です。世界最古の美術誌と言われています。毎月20日発売。ここでは各号の掲載論文の要旨を紹介します。https://publications.asahi.com/category/magazine/kokka.html

マガジン

  • 國華1547号(特輯 信濃の仏像)要旨

    國華1547号(特輯 信濃の仏像,2024年9月20日発売)の要旨です。税込み7700円。発売元は朝日新聞出版。ご注文はお近くの書店・ネット書店で。https://publications.asahi.com/product/25023.html

  • 國華1546号要旨

    國華1546(2024年8月20日発売)の要旨です https://publications.asahi.com/product/24978.html

  • 國華1545号要旨

    國華1545号(2024年7月19日発行)の要旨です。https://publications.asahi.com/product/24930.html

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信濃の仏像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

武笠朗 本稿は信濃国(現長野県)の仏像の総説である。その始まりの飛鳥時代から江戸時代までの展開を、おおむね順を追って時代ごとにその特徴を論述し、現存主要作例を示した。  最初に信濃の仏像のこれまでの研究史を概観し、かなり早くから調査発掘が進みその全体像が知られていたことを指摘した。信濃の仏像の始まりについては、信濃最古の創建とみられる信濃を代表する霊場寺院善光寺に注目し、飛鳥時代から奈良時代にかけて、この地に住んだ渡来系氏族により当地に仏像がもたらされ、あるいは造られ、それを

    • 國華1546号英文要旨(Kokka No.1546 English Abstracts)

      • 日本に伝世した二体の新羅仏の雄作と新出の新羅仏について(國華1546号要旨)

        田邉三郎助 本稿では3体の新羅仏をとりあげる。その1は対馬・海神神社の神体として伝わるもの、その2は五島列島・若松島の極楽寺の本尊、第3が今回はじめて紹介する1体である。各像の伝来についてはさだかにしえないが、前2者は昭和50年(1975)前後に重要文化財に指定されており、新出の像については、昭和18年(1943)2月20日付の『重要美術品等認定物件目録』に記載されている昭和10年(1935)5月10日認定の銅造如来形立像に当るものであることが確認できる。  3体共通して、背

        • 久米民十郎 支那の踊り(國華1546号要旨)

          五十殿利治東京都 永青文庫 大正9年(1920) カンヴァス 油彩 縦76.0㎝ 横111.5㎝  頭から大きく後屈した中国服の女が、画面の中央にある円形の敷物で膝を折って座している。ほとんど隠された表情と、赤い裏地が見える黒い服は彼女のぎこちない姿勢と対照的な強い印象を与える。彼女の右腕が円を描くように、そして左腕が尖った指で後ろに突き出ているのはさらに威嚇的だ。近代洋画でも異例のこの面妖な絵画は、久米民十郎(1893-1923)によって描かれた。  久米は学習院で学び、

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        信濃の仏像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

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        • 國華1547号(特輯 信濃の仏像)要旨
          11本
        • 國華1546号要旨
          6本
        • 國華1545号要旨
          1本

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          酒井抱一筆 飛雪白鷺図(國華1546号要旨)

          河野元昭東京都 山種美術館 絹本着色 1幅 縦141.0㎝ 横50.2㎝  藤原定家が詠んだ「十二か月花鳥和歌」に取材する十二か月花鳥図が、狩野探幽や山本素軒、尾形光琳、尾形乾山などによって描かれてきた。この伝統を受け継いで、酒井抱一も十二か月花鳥図に筆を執ったが、定家詠和歌との関係を断ち切り、絵画としての視覚効果を高めて、新しい花鳥図ジャンルを開拓したのである。このような12図は12幅対や押絵貼屏風の形で伝えられてきた。現在6点ほどが知られており、大変人気のあった画題であ

          酒井抱一筆 飛雪白鷺図(國華1546号要旨)

          鳥文斎栄之筆 座敷万歳図(國華1546号要旨)

          大久保純一千葉県 国立歴史民俗博物館 絹本着色 1幅 縦35.0㎝ 横50.4㎝  正月に家々を回って新年を祝う万歳は、新春の路上風景を描く浮世絵作品の中によく描き込まれるモチーフだが、江戸城や大名屋敷の中でも新年を祝していたことはあまり知られていない。この図はそうした高位の武家の屋敷で万歳が芸を見せている場面を描いた珍しい作例である。簾屏風越しにこの屋敷の姫君と見られる娘と取り巻きの女たちが万歳を見物している。  簾屏風ににじり寄る腰元らの姿は簾屏風越しにハーフトーンで透

          鳥文斎栄之筆 座敷万歳図(國華1546号要旨)

          江戸後期における蒔絵表現の諸相―飯塚桃葉作「百草蒔絵薬箪笥」を中心に(國華1546号要旨)

          永田智世  小論では重要文化財「百草蒔絵薬箪笥」を取り上げる。「薬箪笥」は徳島藩主の蜂須賀家に伝来し、現在根津美術館で所蔵される。銘により、1771年11月に完成し、作者は蜂須賀家のお抱え蒔絵師である初代飯塚桃葉(?〜1790年)であることがわかる。本稿では、本作の特徴的な蒔絵意匠や豊富な内容品の情報をいかし、美術史だけでなく薬学史の観点も導入しながら制作背景を探り、作品の位置づけと江戸後期における蒔絵表現の様相の一端を明らかにする。  「薬箪笥」の主たる装飾技法は研出蒔絵で

          江戸後期における蒔絵表現の諸相―飯塚桃葉作「百草蒔絵薬箪笥」を中心に(國華1546号要旨)

          國華1547号英文要旨(Kokka No.1547 English Abstracts)

          國華1547号英文要旨(Kokka No.1547 English Abstracts)

          瑠璃寺蔵 木造薬師三尊像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          武笠朗 3軀 素地 像高:薬師89.4㎝ 日光101.5㎝ 月光103.0㎝ 長野県下伊那郡高森町 瑠璃寺  松川町に所在する天台宗瑠璃寺の本尊薬師三尊像についての解説である。縁起によれば当寺は天永3年(1112)に比叡山の観誉が開いたとされ、本三尊像はその創建時本尊とみなされており、定朝様式の作例ながら古様な表現や檀像風の素地仕上げなどが注目され、霊木化現仏の可能性も指摘されてきた。本稿では、中尊薬師像の脚部中央の衣端折返しに範となった古像の形の残存を見、中尊の両体側部ま

          瑠璃寺蔵 木造薬師三尊像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          薬師堂蔵 木造薬師如来坐像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨) 

          小倉絵里子 1軀 漆箔・彩色 玉眼 像高71.0㎝ 長野県伊那市 薬師堂  長野県伊那市美篶笠原にある薬師堂の薬師如来坐像は、像内墨書によって暦応3年(1340)に智通が願主となり、仏師性慶によって造像されたことがわかる南北朝時代の基準作である。願主の智通は後光厳帝をはじめ北朝の歴代天皇や関白二条良基の帰依を受け、美濃で立政寺を開いた浄土宗僧である。仏師性慶は鎌倉時代末期から南北朝時代に活動が知られ、前半生では西園寺大仏師として宮廷貴顕に重用された事績が確認されているほか、

          薬師堂蔵 木造薬師如来坐像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨) 

          鳩ヶ嶺八幡宮蔵 木造誉田別尊坐像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          織田顕行 1軀 彩色・黒漆塗 玉眼 像高98.6㎝ 長野県飯田市 鳩ヶ嶺八幡宮  鳩ヶ嶺八幡宮が所蔵する「誉田別尊坐像」について紹介する。鳩ヶ嶺八幡宮は、長野県飯田市松尾にある神社で、以前は島田八幡宮と称した。ほぼ等身大の男神像で、八幡神と同一視される応神天皇の別名「誉田別尊」の名で呼ばれる。俗体の八幡神像の中でも、本像は制作年の判明する最古の作例とみられる。重要文化財に指定されている。  像の大きさは、高さ98.6センチ、髪際高77.6センチ。像容は、壮年男子の相をあらわ

          鳩ヶ嶺八幡宮蔵 木造誉田別尊坐像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          安養寺蔵 木造阿弥陀三尊像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          武笠朗 3軀 漆箔 玉眼 像高:阿弥陀69.0㎝ 観音85.0㎝ 勢至84.0㎝ 長野県佐久市 安養寺  佐久市安養寺の本尊阿弥陀三尊像の解説である。安養寺は弘安年間(1278-88)に法燈国師無本覚心が開いたとされる。本三尊は鎌倉時代の制作だが、様式的に本寺創建を遡る頃の造像とみなされている。  本三尊は説法印を結ぶ阿弥陀が、立像の両脇侍を伴う三尊像で、阿弥陀の説法印が左右非対称なことも特徴的だが、説法印阿弥陀の三尊像自体が珍しい。類例として、寛元5年(1247)造立の山

          安養寺蔵 木造阿弥陀三尊像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          仏法紹隆寺蔵 木造不動明王立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          山本勉  1軀 古色 玉眼 像高41.7㎝ 長野県諏訪市 仏法紹隆寺  この不動明王像は、1992年の『長野県史』の解説において、静岡・願成就院、神奈川・浄楽寺の運慶作不動明王像との作風の類似が指摘された。松島健は1997年の講演で、東京国立文化財研究所が撮影したX線写真で確認された像内納入品の一が、運慶作品に確認される上部月輪形の木札に類似するとして、その点にも運慶作品との関連を認めた。『長野県史』や松島の講演では、仏法紹隆寺が諏訪大社の別当寺として建立されたとの伝承もふ

          仏法紹隆寺蔵 木造不動明王立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          覚音寺蔵 木造千手観音立像・木造持国天多聞天立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          奥健夫 3軀 千手観音:素地 像高176.0㎝ 持国天:古色 像高161.5㎝ 多聞天:古色 像高157.6㎝ 長野県大町市 覚音寺  長野県大町市覚音寺に伝わる千手観音像と二天王像である。千手観音像は納入品の銘により1179年に当地の武士仁科盛家とその一族を施主として、ビャクダンに擬したヒノキ材を用い、制作中真言を唱え続けるなど厳格な造像作法により造られたことが知られる。このような作法で造られた像は如法仏と称される。本像の造立には各地の霊験寺院を廻り経塚造営の担い手などと

          覚音寺蔵 木造千手観音立像・木造持国天多聞天立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          弾誓寺蔵 木造観音菩薩立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          佐々木守俊 1軀 漆箔 像高162.0㎝  長野県大町市 弾誓寺  本像は大町市弾誓寺観音堂の本尊で、ケヤキとみられる広葉樹の一木造である。後世に宝髻を切除し、面部を割り放して玉眼を嵌入するほか、面部や体部に彫り直しが認められる。沓を履く作例は、地蔵菩薩以外の菩薩像ではきわめて珍しい。両耳上の巻髪、強く側方に反る板状の耳朶、怒らせた両肩、強く絞った腰と丸く突き出した腹、動きのある深い衣文表現などの特徴は、長野市松代町・清水寺観音菩薩立像と類似する。   浅井和春氏は岡山・安

          弾誓寺蔵 木造観音菩薩立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          清水寺蔵 木造地蔵菩薩立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)

          岩佐光晴 1軀 漆箔・彩色 像高157.0㎝ 長野市松代町 清水寺  本像は清水寺本堂の須弥壇に本尊の千手観音菩薩立像の右脇侍として、左脇侍の観音菩薩立像とともに安置されている。本像については様々な議論が展開してきているが、ここでは論点を整理し、それぞれの論点の概要を示して、所見を述べた。  制作時期については9世紀後半から10世紀半ばまで諸説が出されているが、衣文表現はまだ形式化しておらず、9世紀前半の像に通じる要素があることから、遅くとも9世紀後半には十分遡るとした。伝

          清水寺蔵 木造地蔵菩薩立像(國華1547号〈特輯 信濃の仏像〉要旨)