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ゲイであることは仕事に影響すると思います
「仕事とセクシャリティは関係ない」。
ネットニュースのコメントで、何度見た言葉だろうか。
たしかに会社からすれば、その人がどんな性的指向なのかなんて関係なく、割り振った役割の中で最大限の成果をあげてくれたら良い筈である。
だとすると、やっぱりこの意見は正しい。
ぐうの音もでないほど、正しい。
けれど、この言葉を見る度にずっとモヤモヤしてきた。
働く上で、ゲイである自分が抱いてきた苦悩は単なる弱さや甘えに過ぎないと言われているみたいで。
そして、変にニュートラルぶったもう一人の自分もダメ押しをしてくるのである。
「そうです! それはただのあなたの弱さです!」と。
その言葉に納得しかけた時、少し遅れてゲイなる自分がささやかな反論をしてみせる。
「とは言っても、働くことってもっとこう……、情緒的なものであって、そこに感情がある以上、簡単に切り離すことは出来なくない?」と。
*
私が新卒として入社した会社は、とにかく遊びが派手な会社だった。
毎晩の様に、飲み会からキャバクラやスナックへ行くのがお決まりで、未読無視しているキャバクラの女の子からの営業ラインが溜まっていくのと比例して、この会社でやっていけるだろうかという不安も募っていった。
でもまぁ、こんなことは営業マンの付き合いとして仕方のない範疇だろう。
その域を超え、どうしても超えられない壁として立ちはだかったのが、風俗のお誘いだった。
一体どんな断り文句がベストなのだろうか。
風俗への誘い文句が飛び出してからコンマ数秒の間、私は旅に出る。
「異性に興味はあるけれど仕方なく今日は行けない理由」などという正解のない正解を探し求める旅へ。
「そういうの苦手なんで」
こんな断り方は少々危険である。
「もしかしてこいつ異性に興味がないのでは?」と思わせてはいけないのだ。
しかしながら、どんな言葉を探したところで結局私の目に映るのは毎回、「奢ってやるのに? なんで?」と、心底不思議そうにキョトンとしている先輩の姿なのであった。
まぁ、こんな感じの会社なので普段から社員同士の距離は非常に近かったワケである。
そしてとうとう、会社メンバーで行ったキャンプをきっかけに私は退職を決意した。
キャンプの詳細は伏せるが、「同期が興奮して鼻血を出した」とだけは言っておこう。
そんな感じだから、私からするととてつもなく過酷なキャンプだった。
腹が立つのが、こんなディープな付き合いの輪廻から抜ける為には結婚するしかないことだ。
その未来が来ることは無いのだから、一抜けしようがない。
ちなみに、この会社にはいわゆる学歴フィルターが存在し、対外的にも名のある企業である。
(私は採用レベルに達していないが何かの間違いが起こったのか、採用されてしまった)
その様な会社でも、モラルはこの程度であることに、心底がっかりしてしまった。
その会社を辞め、転職先が見つかった日には、ようやく無意味なストレスから解放されると期待した。
実際、一社目ほどのストレスを感じることはその後、ほとんど無い。
それでも、「ゲイじゃない自分だったらもっと働きやすかったのになー」とは常々感じてしまう。
次の会社では、ある時期から同期の態度がとても素っ気ない態度になり、そいつと仲の良いオジサン先輩から「〇〇部長、あれだけ仕事が出来るのに女っ気がないなんて、『コッチ』だったらどうする?」と執拗に聞かれる様になった。
どこまでが被害妄想であり、真実なのかは分からないが、最初に出てきた感情は「あぁ、これはバレてしまったな?」と言う焦りである。
職場にゲイだと疑われてる人がいる職場では、「結局どっちなんですか?」なんて詰め寄られてるシーンを目の当たりにしては、タジタジしている先輩の姿を横目に、あれはいつかの自分の姿になるかもしれない……と震えた。
ゲイだとカミングアウトをしている社員がいる職場では「気に入られない様にあまり関わらない方がいいぞ」とはっきり忠告を受けたこともある。
何より、こんな具体例を挙げるまでもなく、日頃から嘘を重ね続けるのがシンプルに苦しい。
「今日、奥さんが体調悪いから時間給いただきます」なんて、家族の話をすることに何の疑いも持っていない同僚が羨ましいと、汚い感情が出てしまう時もある。
一方のこちらは、信頼関係を築く上で一番の近道である自己開示すら難しい。
同僚達も、プライベートが謎な人として私を認識しているかもしれない。
人間関係をドライに済ますのも一つの処世術なのだけれど、時々悲しくなる。
「俺、本当はもっと明るい人間なんだけどなー」って。
そうして悲しくなった先に顔を出すのは、またしてもニュートラルぶった自分だ。
「職場でカミングアウトをしないと勝手に決め、勝手に何かに怯えているのはお前自身じゃないか」
「自分から人との繋がりが必要な職場においそれと出てきておいて、何を言っているんだ?」
といった具合に。
その言葉に、「そうだよな、全部自分が悪いんだよな」と、安易な自己責任論で片付けてしまいそうになる。
しかし、恐らくここで大事なのは、ニュートラルぶった自分に耳を傾けるのではなく、ゲイなる自分を直視することなのかもしれない。
勿論、その部分にあまりストレスを感じずに働いている当事者の方も沢山いる。
けれど、少なくとも私は、働く上でゲイであることは影響してる。
そこに困難や行き詰まりも感じている。
しっかり、苦しい。
セクシャリティに捉われてはいけないが、この感情はリアルだ。
それをしっかり理解した上で、それならどうしていこうかと考えることが大事そうである。
こちらの答え探しの旅には、恐らくちゃんと答えがある。
どれだけ時間がかかっても、その答えをちゃんと持ち帰りたいと思います。