ゲイだとカミングアウトして、ようやく実家が安らげる場所になった話
「もう少し仲の良い家庭で育っていたら、結婚したいって思えていたかもねぇ」
家へと向かう車の中で、そう口にする。
すると、必ず両親は黙ってくれた。
「一体、いつになれば結婚するのか」、「彼女はいないのか」、「なぜ彼女をつくらない、できないのか」。
帰省する度にされるこれらの質問は適当に受け流すのだが、あまりにもしつこく食い下がってくれない時にはこの伝家の宝刀を振るってみる。
先ほどまでの勢いはどこ吹く風、困った様に窓の外へ目線を泳がす親をルームミラー越しに見ては、「さすがに悪いこと言ってしまったかな」と罪悪感がこみ上げてくるが、「結婚しないのも彼女がいないのも、ゲイだからだ」と告げられるショックよりかは遥かにマシだろう。
我ながら不毛な会話だと思う。誰も良い思いをしない会話。
もっとマイルドなごまかし方は他にあるだろうし、同じ空間にいると罵り合いしかしてこなかった両親に恨みがある訳でも決してない。
だが、ボロを出さない為には結婚の話そのものをタブーに思わせるか、そもそも家族と会わない様にするしかない。
そう考え、実家から新幹線の距離に住んでいたこともあり、社会人になってからの10年ほどは帰省するのが2年に1度ほどになっていた。
それが今や3ヶ月に1度くらいは帰っている。
退職をして地元に戻ってきたのもあるが、一番は親に全てを打ち明けたことが大きい。
今では、親の傷口をえぐってきたあの伝家の宝刀も埃を被ったまま長らく姿を見せておらず、心配と哀れみがこもった眼で結婚についてアレコレ言われることも無くなった。
「実家」にあるべき安らぎを、30歳を過ぎてようやく手に入れたのだ。
思えば、小さい頃から自分にとって家は安心できる場所では無かった。
自分がゲイなんじゃないかと気付いた時から、無意識のうちに親に対して罪悪感を抱えていたからだと思う。
親がとても大切にしていた宝石箱を無くしてしまい、それを言い出せずにいる様な罪悪感を。
そして不幸なことに、無くした宝石箱の中で一番の輝きを放っていたのはダイヤやルビーではなく、自分に対する息子としての期待や、孫と一緒に微笑み合っている様な未来であることを知ってしまっていた。
それに、親から自分を否定されてしまうかもしれない可能性も常に考えていた。
胸を張って親友と呼べる友人達や、毎日一緒に働いている上司や同僚達。
長い期間を経て強固な信頼関係を築きあげたとしても、「生理的に無理」の一発大逆転負けに僕はいつも怯えている。
そして、それは家族に対しても同様なのだ。
だから、いつそうなっても良い様に生きてきた。
2年に1度しか帰省しなかったのも、その予行練習を兼ねていた部分もあるかもしれない。
けれども、とりあえずは受け入れてもらえた。
打ち明けた時に言われた「幸せならそれでいい」という言葉は、まだ世の中の仕組みを何もしらなかった頃から持ち続けていた罪悪感も、一発大逆転負けへの怯えも洗い流してくれた。
これは本当に、奇跡に近いことである。
タイミングを少し掛け違えるだけで、今とは違う現実と直面していた可能性もあるだろう。
そもそも僕は、めちゃくちゃラッキーだ。
家族仲がそこまで良い訳では無かったから。
だから、傲慢に聞こえるが、仮に受け入れられないのであれば、そんな親はこちらからも切り捨てれば良い、と考えていた。
けれども、今は違う。
僕には今付き合っているパートナーがいるが、彼は家族とめちゃくちゃ仲が良い。
もし仮に彼が親にカミングアウトをし、受け入れられなかったとして、「そんな親捨てちゃいな」なんて、絶対に言えないからだ。
どうすれば関係を修復できるのか、必死に考えることだろう。
親御さんに対しても、受け入れられなかった事実を責めることはできない。
息子のことを理解できないのは、本人にとっても相応に悩ましいことだと思うから。
そして、世の中的には僕寄りではなく、彼寄りの家庭の方が多いのだろう。
関係性を壊してしまうかもしれないカミングアウト。
親の目からは、先程までの知っている息子とは違って見えてしまうかもしれない。
改めて、打ち明けることも受け入れることも、どちらもとても勇気のいることだと思わされる。
もし仮に、子どもからのカミングアウトにショックを受けたり、その事実を受け入れられなかったとして、その方達を「親として不誠実だ」なんて僕は言えない。
その方達が血の繋がっている自分の子供を理解できない様に、子育てをしたことのない僕も親側の気持ちが100%分かる筈がなく、推し量ることしか出来ないのだから。
それでも、おこがましいのは承知の上で、親御さん達へ子どもからのカミングアウトを受け入れた先にある「良いこと」が一つだけあると言いたい。
それは、幼少期からずっと纏ってきた嘘の鎧を脱いだ我が子と、これからようやく「本当の」親子関係を始められるということだ。
30歳を過ぎてもなお、そしてこれからだって、この様に僕は「子ども側」としての発信しかできない。
そんな、とんだ世間知らずの戯言ではあるが、伝える勇気と受け入れる勇気を出し合った両者のこれからが、不毛ではなく、実のある会話で溢れる様にと、心から願っている。
そんなことを書いているうちに晩御飯の匂いが漂ってきた。
今日は3ヶ月に1度の帰省の日。
宝石箱の中で放っていただろうまだ見ぬ未来の輝きより、今歩んでいる人生の幸せを大切に想ってくれていると、信じさせてくれてありがとう。
そんなことを思いながら、実家の懐かしさの中でこの記事をUPする。
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