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見方日記 1/1〜 2022

雑然とした日常のメモのうち「見方」とも言えるようなかすかな断片たちが居場所を求めている。

1月1日

新年早々、自販機で
あったか〜いを買うつもりが、
つめた〜いを買ってしまった。

あったか〜いとつめた〜いの札は
上下にくっついていて、
正面からはたしかにつめた〜いなのだが、
買う瞬間の上から目線の角度では、
赤いあったか〜いのほうが印象が強かった。

ので、
買っちゃいました。
間違えて、つめた〜い、を。

ユーザーからの見えの角度、大事。

1月2日

「やっぱり靴屋は靴を持っていないと。」

本明さんの言葉。

靴屋を営むものは個人としても靴のコレクターであれという話。

提供者視点に埋没せず、
いちユーザー視点を磨き続ける生き方。

コロコロよりゴロゴロのほうが大きく重く感じるのは、

コよりゴのほうが発音するとき、ゴのほうが口・喉で大きい空間をつくるから。

濁点は、大きさ重さ強さと関係している。

「イスラエルで育った人と話してて、日本人は一部の超詳しい人を除いてユダヤ教とキリスト教の関係とかイスラムのことをまーーーーったく知らないので、逆にそれが新鮮で宗教のごたごたから解放されて何も気にしなくていい、だから日本が好きなんだ、と言っていて、そういう見方もあるのか~と驚いた。」

Twitterより。

1月3日

ITベンチャー養成機関「Yコンビネータ」の命名の話。

「わたしたちは凄腕プログラマの起業家は招き入れたかったが、スーツ姿のビジネスパーソンは門前払いにしたかった。凄腕プログラマがわたしたちのことを聞いたら、こう思うでしょう。「Yコンビネータって名のITベンチャー養成機関だって?最高じゃん!きっと、面白い人たちが集まっているに違いない」と。
いっぽう、スーツの人たちは、Yコンビネータと聞いても何のことやらさっぱり、となりますから。」

「固定」の対義語を答えなさい → ( 野良 )

1月4日

混み混みの大磯駅の改札を出ようとしたとき、階段を並行しておりていた男性の視線と、改札の先にいる女性の視線がバッチリ合った。階段をおりていく。しかしその結んだ線が離れることはない。

もう一度いうが、あたりは混み混み。でもその視線だけは別空間にあるかのようだった。

これを視線のカクテルパーティ現象と呼ぶことにしたい。

藤野さんの考え方

「その業種・業態・考え方・文化に合わせて”マシ”な会社に投資をする」

1つの価値軸で「これはすばらしい」を集めたものは、世の中の変化や社会の流れによって、成績が極端に悪くなったりするときもある。

僕らのファンドは劇的にバーンと勝つことはないけれども、激負けもなかなかしにくい構造になっている。

なぜかと言うと、ある業種・業態・考え方・文化の中でベターな会社に投資する、という考え方をしているから。

ある業種・業態・考え方・文化そのものの偏りにはどう対処するか?

それは偏りを生む自分自身の「主観の壁」を打ち破ることが肝要。

主観の壁を打ち破るには、社会構造をなるべく”マクロにランダムに”みていく必要がある。そのために、なるべく自分の近くにいない人のSNSをフォローするなど、システマチックにマクロとランダムを担保して情報を掴んでいく工夫をしている。

マネジメントとは、人に対して関心を向けること。

「あなたのことを知りたくてしょうがないんだよ」
という立ち位置が、
コミュニケーションとしてベスト。

(マルチタスクのつらさの解消法)

今、ここで、
やらなきゃならないことがいっぱいあるから
つらいんだ、
と考える。

「一つの空間で一つのことだけ考える」
を習慣にすると、
頭と気分を切り替えられて、
マルチタスクを比較的こなせる。

あと大切なのは、
何も考えない時間をつくること。
お風呂の中とか
「この空間では何も考えない」
という習慣をつける。

そのように
「この空間ではこの思考」を習慣化していくと、
心が軽くなる。

1月5日

ソラ「空を見ると曇ってきた(事実)」
アメ「雨が降りそうだ(解釈・判断)」
カサ「傘を持っていこう(打ち手)」

北魏の三長制

5家を隣、5隣を里、5里を党として、それぞれに長(隣長、里長、党長の三長)をおき、彼らが戸籍の作成、租税の徴収に当たった。長には免役の特権が与えられた(隣長は1丁、里長は2丁・党長は3丁)。この村落制度を前提として、均田制、均賦制、三五発卒(十五丁一番兵方式)などの諸制度が実施された。

wikipediaより。

1月6日

電車にて。

「わたし、首の後ろに窓枠サッシくる席苦手なんだよね〜、サッシが微妙に首の中心線からズレててちょっと首をよりかけたいとき、左右の首振りが等価交換にならなくてイヤじゃん。」

それを等価交換と見るかー👀

「ハンカチは人に貸すためにあるんだよ。」

「美しい朝日は見ようと思えば毎日見られる。見ようと思えば、ね。」

「長く共に過ごすと歯車のようにかみ合うだろ、いろいろ。だからカドが取れてかたちも似てくるんだ。」

とバーの隣のダンディおじさん。

1月7日

衝動にしがみつけ!

置いてかれるぞ、本当の自分に。

1月8日

我田引鉄

我田引水をもじったもの。日本において、1960年代後半(昭和30年代)から1970年代前半(昭和40年代)にかけ、盛んに国会議員が、自らの(我)選挙区(票田)へ国鉄路線や新幹線の駅を誘致した(引鉄)ことを、マスコミが非難を込め揶揄した。

勝とう勝とうが勝ちすぎると、
気が飛んでしまい、
どこを攻めようとしているのか
相手に見抜かれ、
結果的に避けられたり、
裏をつかれたりして、
勝てない。

1月9日

たまたまバーでとなり合うカップルとの
会話はひえーと唸ることが多い。

お互い、
隣に信頼する相方がいる安心感があるのか、
本音をバンバン場に放り込んでくる。

わたくしおじちゃんも、
マスターも
諸先輩方も
みなタジタジだ。

バーにカップルでこれる
その関係性も羨ましい

っていうことをその場で
そのカップルに小難しく伝えたら、

彼女さん「まぁ飲めや」

いいぞ、飲み歩くカップル!

その街その町の街中華にふらっと入り、
どれくらい話しかけられるか
(それはお客さんにも、お店の人にも)、

っていうことは、
なんだかその街その町を好きになる
バロメータな気がする。

1月10日

24フレの部分と6フレの部分と2フレの部分。

それらが同居していることが、
表現上重要な意味になっている
アニメーションの構想を思いついた。

2.45インチの超大型ディスプレイ

という広告。

2.45で超大型⁈

キチンと見ると、
手のひらサイズのジンバルカメラの
モニターの広告だった。

なにごとも相対的。

1月11日

「寒い寒い週末、詩歌がよく売れた。研ぎ澄まされた言葉には、からだを芯から温めてくれる力があるのかな…などと思いました。」

本屋ルヌガンガさん

バンクーバーのとあるホテルでは、
わんこのコンシェルジュが働いている。

しっぽふりふり、かわいい。

そのお仕事内容は、
エレベーターまでのご案内、、とかではなく、

ロビーを歩き回って、
お客様を笑顔にすること。

めちゃめちゃ大事な仕事!

1月12日

私当時5歳。父の運転する車に乗り「右の矢印がカチカチしたら右に車が行く、左の矢印がカチカチしたら左に行くのか!」と新たな発見に喜んでたところ、ハザードをつけられ「おどうざん!車が割れる!!」と藤原竜也に負けない位に泣き叫んだ。

Twitterより。

食べ物、消費期限近くなったら光ったり点滅したりしてほしい

温泉宿なんかで風呂入って飯食って「まだ8時か」となるときのような感覚が一生続いてほしい

Twitterより。

1月13日

武則天は漢字の改変も行い、則天文字と呼ばれる新しい漢字を創っている。その数は20字程度であり、今日使用されることはほとんどないが、「圀」の字は日本で徳川光圀と本圀寺に使用されている。この改変は「國」がくにがまえの中に「惑」を含むことを武則天が忌み嫌ったもので、その代替としてくにがまえの中に「八方」を加えたものである。他にも、自らの名の「照」の代替として、空の上に日と月を並べた「曌」(明+空)を造字しており、いずれも思想的な理由に基づくものだった。

wikipediaより。

長い旅から帰ってきて、家の鏡を見る。

あれ?自分てこんな顔だったっけ?

1月14日

カメルーン人と朝食の話してて、「朝飲むのはココア」というので意外と普通だなと思ったら、「普通に、庭のカカオの木からカカオの実を採って、割って取り出した種を挽いて…」と話し始めて、文化・常識の違う相手だと同じものの話してるつもりでも前提が全然違ったりするから油断してるとやられる。

Twitterより。

あるアフリカの人の「なぜ踊るかって?石じゃないからだ。石が踊るのを見たことがあるか?」という言葉ほど、人がなぜ踊ったり走ったり歌ったり絵を描いたりするかについての完璧な答えを知らない

Twitterより。

一方で、
石も踊ったら面白いのにな
と、妄想をした。

姉弟でドッグランにいるし、うちのクーさんを撫でまくっているから「犬飼ってるの?」って聞いたら

弟「うん!あのねぇ、家に動かない犬と動く犬がいる!!」
姉「うちは犬飼ってないよ」

と急にとんちクイズ始まったの面白かった。

Twitterより。

1月15日

博多大吉さん
「テレビの弱点は空気感が伝わらないこと。演芸に関して」

これを受けて赤江さん。
「フィギュアスケートとかもね、テレビだと細かいところまで見えるし、何回転とかも解説してくれるから見やすいんですけど、生で初めて見た時、全く違う。スピード感が、観客席で見ると、右から左に移動するとかシャーッとか行っちゃって、全然違う。」

ノンスタ石田さん

「機器を通すと音声とかもバランスを取ってしまうので、機械的な質感になるんです。やっぱり生の舞台でしか伝われへん感情とか笑いはあると思うんですよね」

数学や物理をやると、感覚的に受け入れられない事実を理屈で納得する訓練になる。

ヨビノリたくみさん

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