佐藤先生に教わったこと-#38
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
抗えない。
あるとき、先生はこのように黒板に書き、語り始めました。
「今日はこの、抗えない、ということについて考えたいと思います。」
「たとえば、枕草子にこんな話があるんですね。」
「清少納言が、稚児のためのお丸が便器のとなりにあるのを見たときのこと。その稚児用のお丸のかたちは、大人用と全く同じかたちで、ただそのサイズがギュッと小さくなっただけのものだと書いてあるんです。そしてそのサイズ感、佇まいがいとかなし、つまりかわいく愛おしいと。」
「この感覚、すごいわかりますよね。」
「そこで僕は、この現象、このいとかなしという感情の発生は抗えないものだと考えて、バザールでござーるのノベルティをデザインしたのです。」
「それが、この、親バッグ・子バッグ・孫バッグ・ひ孫バッグ。マトリョーシカのように、ほら、入れ子になっています。そして、これ、この、ひ孫バッグまで出てくるのがいいでしょう。やっぱり、ひ孫まで出てこないと。」
「さて、この抗えない。一見ファジーで人によるのではと思うかもしれません。たしかにそうです。ですが、ここで2つのことを考えたいと思います。」
「1つは、清少納言が記述しているくらいですから、いくらファジーであってもこの共感を呼ぶ感覚がなんと千年前からそんなに変わっていないという事実です。つまり、普遍性がある。この千年前の記述に、少なくとも自分はとても共感できるという事象に出会ったとき、その事象について感じる感覚は、現代人も抗えない可能性が高いと考えられます。」
「そう、抗えないを見つけるひとつのコツは、古典の記述の中を探索することです。」
「もう1つは、清少納言がみたお丸のように、人間はそのサイズ感、大小の併存があるとき、あぁこれは赤ちゃん用だと、なぜだか一瞬で理解する力があるということです。それはやはり、守らなければいけないものとしての赤ちゃんの存在を、そのサイズ感にいやがおうにも感じてしまう、そういう抗えない人間の性質があるからだと考えられますね。お丸だけでなく、洋服などももう明らかですよね。」
「これは、進化の過程、脳機能の平衡によって、抗えなくなっている可能性が高いです。」
「なので、抗えないを研究するためには、脳科学を学び、その知見から表現の鉱脈を探すというアプローチが考えられます。たとえば、3つの点で人の顔に見えてしまう認知は、顔ニューロンと呼ばれるニューロンが関係していると言われています。」
「脳科学以外にも、ゲシュタルト心理学やアフォーダンスなども、その鉱脈を探索したい領域です。」
「さて、では。」
*
っという感じで、「抗えない」の課題が出されたのでした。
最後に、この「抗えない」という考え方から生まれた素晴らしい先生たちの表現を紹介して終わります。
それは、バイオロジカルモーション。
動物や人間の「関節」に点をうち、他の部分は捨象し、その点だけが動くだけで、如実にその動きを感じてしまう、つまり抗えないというもの。
この学術の分野で開拓された方法を使って、表現に昇華させています。
星も試作の一番最初、横歩行のバイオロジカルモーションをとるときに、モデル側として参加しました。
その試作がのちに、こんな映像になりました。
後半には、手前の点は高速で動き、奥の点は遅く動くと、そこに奥行き・空間を感じてしまう「抗えない」も入っています。
表現として強くなる「抗えない」。どこにあるか、これを機に改めて考えてみたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?