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佐藤先生に教わったこと-#33

このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。

コピーによる劣化

バザールでござーるの制作について、先生からこんな話を伺いました。

「実は、この映像。わざとコピーして劣化させています。」
「制作したアニメーションを当時のテレビ画面に映すと、パキッと線や色がくっきりしすぎていて目に痛かったんですね。」
「出来たそのままのアニメーションではバザールでござーるの世界観、トーンが整わなかったんです。」
「そこで、コピーをして劣化させるという工程をふみました。何回コピーすればちょうど良いかも何度も検証しました。」
「そんな試行錯誤を繰り返して、画面のトーンを整えていったんです。」
「このトーンだからこそ、あぁたしかにこの世界を生きているんだと、ゴザールたちが生き生きとしますよね。」

星から補足をすると、当時は今のようなデジタル環境での制作ではなく、フィルムやテープを介してコピーするという方法でした。なので、コピーをすると劣化をするわけです。紙の資料をコピー機でコピーするのと近いイメージです。

まさか劣化をよしとする考え方があるとは。

盲目的に最先端の映像を最先端の映像機器でとするのではなく、あくまで完成品は視聴者の脳に届いた状態である、と。

逆にいえば、視聴者の脳にどんな質感・トーンの表現を届けたいかをイメージしきって、そこから逆算して、メディアはなにか、作り方はどうするか、制作チームはどのように組んだらよいか、そういうことをすべて調整していくことがCMのような広告クリエーションでは求められるのだと強く感じました。



話は少し飛びますが、料理研究家の土井善晴さんが、料理や食卓の設えでは「自然のかろみ」を大事にしているとおっしゃっていました。

つくる過程において、すべてを整えすぎず、あえていい調子を招く雑味や自然の流れ、たとえば水、気温、湿度、そういう細かな変化を感じて味方につけ、食卓に流し込みましょう、と。そうすると身体がリラックスして、心楽しい食卓になるという趣旨のことをおっしゃっていました。

この話をきいて、コピーによる劣化と似た感覚を覚えました。

自然の雑味というフィルターを通してかろみを出すこと、コピーによる劣化というフィルターを通してトーンを整えること。

数値ではかりすぎると見過ごしてしまう感性をいかに澄ましておくか。その大事さを感じました。



また話が少し飛びます。先日、日本画家の吉田善彦さんの展示を観てきました。

吉田さんは、法隆寺金堂壁画の修復を行う中で、風化により統一された古画の美しい画面にとてつもない感動を覚えたそうです。

仄かな黄土と具墨、ベンガラのにじみ、緑青群青の鈍くも美しい煌き、かすかな黒い瞳と淡い毛描き。

風化して絵具や線描がわずかに残るだけの画面でありながら、心に訴えかける美しさがある、と。

この感じをどうにかして自らの絵に取り入れられないか。そう考えた吉田さんは、腐心した挙句、もみ紙と金箔を用いた吉田様式という描き方を発明します。

以下、吉田善彦さんの言葉の引用です。

表面を汚らしいきょうざつぶつをなくすにはどうしたらいいかと思って、描いたものをフォルマリンで固定しまして、絵の具が水にもおちないようにしてから、画面をメチャメチャに揉みほぐしてしまうんです、それで色面の一種のモザイクができます。すると、画面はどんなに強い色でも一つのトーンにぴたっと統一してくれて、もののかたちと色面が一層はっきり見えてくるんです。そこで改めてそこに本当の線描きをして、本当に置くべき色を決めます。このいよいよ本描きするというときに、金箔でベールをかぶせるんです。そうしますと、それまで描いたものが全部金箔の下に入りますから、うすく下にすけた金箔の絵ができるんです。それへ、薄い調子でおこしていきますと、下にある仕事が、呼び起こされて、上の透明な薄い色面と一緒になるためにガッチリした画面ができます。

吉田善彦 《大仏殿春雪》

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