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佐藤先生に教わったこと-#29

このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。

佐藤研では「作り方を作る」という態度について学ぶことが多くありました。

これから書く3つの事例は、(佐藤先生的に「作り方を作る」の範疇に入るのか微妙なラインなのですが)、少なくとも自分は「作り方を作る」態度をとても感じた事例になります。

佐藤さんは世界観を作ってください

佐藤先生はあるとき、爆笑問題のお二人とフジテレビのある番組のコーナーを一緒につくることになったそうです。その打ち合わせのときのこと。

「そうしたら、爆笑の太田光さんがこう言ってきたんですね。」
「佐藤さんは世界観を作ってください。あとは僕らがネタをつくりますから、と。」
「プライドを感じました。」
「そこで僕は、ある家の中にいるネズミの世界観、小さな世界観を提示しました。そこでそのネズミが発見してしまう人間のものに対して、爆笑の二人が様々な見立てをしてでたらめな展開が巻き起こるという世界観を。二人のキャラクターの名前もかわいく爆チュー問題とし、爆チュー問題のでたらめチューズデーとコーナーの名前をつけました。」

一人は、世界観をつくる。
二人は、その世界観で大暴れする。

この役割分担はお互いのプライドがぶつかり表現の竜巻が起こる、すごい役割分担だとその話をきいたときに感じました。

声で文章を書く

先生が『砂浜』という小説を出版したとき、こんなことを教えてくださいました。

「実は僕は文章を書くのが苦手で。でもはっきりと頭の中で映像は見えているんですね。もうもどかしくて。」
「はたと気がつきます。それを頭の中でみながら、実況するように、口ではすらすら言えるな、と。」
「そこで考えました。これは声で文章を書けばいいのではないか、と。どういうことかというと、ボイスレコーダーを用意して、そこにつらつらと思い浮かんだ情景、物語を口上していくわけです。」
「録音した音声は、事務所の古別府さんに文字起こししてもらい、それをプリントアウトしてもらったものを、僕が推敲していくという手順をとりました。なぜか推敲はできるんです、僕。」

書くのは苦手で立ち止まらず、できる道筋を探す。できあがりから逆算して、どこかに”作れる”よすがはないか探し続ける。そういう態度に表現人としての凄みを感じました。

この表現の命はなにか

「モルツのCMプレゼンのときです。」
「真心のお二人のモルツモルツモルツモルツにのって、萩原健一さんが結婚式のスピーチの原稿を空になったビール瓶と一緒にウェイターに持っていかれちゃう、そんなコントのようなことが15秒の中で起こるCMをプレゼンするときの話です。」
「普通はこのタイミングでのCMのプレゼンは、タレントはこうで商品名はこう出てきてシズルカットがこうで、と絵コンテをもとにプランを説明するものなんですね。」
「でも僕はコンテではなく映像を作ってプレゼンにもっていきました。なぜならこのCMの命は、コンマ何秒のズレも許さぬ、演者のしぐさと視聴者の目線の一致だからです。」
「ちょっとでもズレるともう何が起こったか視聴者はついていけない。逆にピッタリ一致するとたった何秒の間の出来事とは思えないくらい、わかりすぎるくらいわかる。そういうコミュニケーションの成立がこのCMの命なのです。その、視聴者のわかりすぎるくらいの共感から、”うまいんだな、これがっ”とくるから効果的になるわけですね。」
「さて、この試作映像の演者。なんと僕です。背景は仕事場。もう全然ダメ。でも、結婚式場のテーブルのサイズ、ビール瓶をはじめとした小道具、巻き起こることごと、そして命であるタイミングはもうバッチリの試作をもって、どうだと意気揚々とプレゼンに臨みました。」
「そうしたらクライアントのあるお一人。”え、、まさか、こんなCMを流すの”って顔しているわけですよ。」
「違います違います、これはタイミングが命で、これはあくまでその試作映像で、と慌ててフォローするわけですが、クライアントもコンテでプレゼンされることに慣れているから、これは何を見させられているのだと思っているのです。それはまあ当然ですよね。」
「でもそういうことにも怯まず、改めて落ち着いてこの試作映像の意図、そしてそれがどんな効果を生むかをプレゼンし、無事企画はGOしました。」
「本番の撮影のとき。あの萩原さんですよ。もう必死にプランを説明しました。試作映像も見せて、身振り手振りで、タイミング、目線、それが命、と。」
「そうしたら深くうなずき、わかった、と。」
「現場はリテイクの嵐。もう周囲はヒヤヒヤです。おい嘘だろまだやるのかと。でもそんな周囲の心配をよそに、萩原さんは毎テイク本気で演じてくださいました。」
「OKを出した後、そのスタジオで萩原さんだけが、”ほんとにいいんだな?””ほんとうにもういいんだな?”と僕に目線を送ってくるわけです。ほんとうにいいんです、とうなずきました。そうして萩原さんはスタジオを出ていかれました。」

 

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