佐藤先生に教わったこと-#37
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
佐藤先生はあるとき、
だんご三兄弟について話してくださいました。
まずはレコーディングの現場でのこと。
「レコーディングスタジオに、速水さんと茂森さんが入って、歌ってくれたんですね。」
「だんご、だんご、って。」
「でも、違うんですね。」
「何が違うかっていうと、音の高さ。」
「もう、全然、高い。」
「『もっと低く歌ってください』ってリクエストしました。で、再収録。」
「でも、まだまだ高い。」
「『もっと、もっと低くです』、というと、え?もっと?っと、お二人はとても困惑した表情を浮かべていました。」
「『はい、もっとです。』と返し、再々収録。」
「お二人は、いつも、NHKの番組において、高いキーで歌うことに慣れていました。」
「よかれと思ってなのか、いつもの癖なのか、ここだろうなと設定しているキーがとても高かったんです。」
「もう僕も必死ですから、だんご、だんご です、だんご だんご です と低く低くですとアピール。」
「無事に、最高のテイクがとれました。」
「さて、なぜ、もっと低くなのか。」
「それは、まず、シンプルに、あの歌詞に対して、がーんと低くくることが、音としてキテいるからですよね。」
「だんごだんご(高く歌う)より、だんごだんご(低く歌う)ですよね。もう歌ったときの生理的快感が違う。」
「そして、速水さんと茂森さんの習慣がなかなか抜けなかったように、NHKの教育テレビで流れてきている歌は、基本的にキーが高いんです。」
「子どもたちはそれに慣れている。だから、そこに、だんごだんごってものすごく低くきたら、なんだ?これは?と目がいくんです」
「そして、そこに流れているのは、独特な世界観の、だんごのアニメーション。」
「そんなことを丁寧に、お二人に説明したら、とても理解してくださいました。でも、慣れってなかなか抜けないですよね。」
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星から「生理的快感」について少し補足すると、
この「だんご」も、前回の”佐藤先生に教わったこと”でも書いた「濁音時代」になっているわけですが、言語学的には、濁音は、のどをひらいて低く発音したほうが、発音しやすいそうです。
そして、発音しやすいと、つまる感じがなく不快感がない、逆に言えば快感なので、歌ってて気持ちいい、と。
このように、口咽頭や、くちびるの気持ちよさという観点で、自分が気持ちいいと思うことばや歌の音を分析するのも面白いかもしれません。
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だんご三兄弟についてはもうひとつお話がありました。
「だんご三兄弟は、ご存知の通り、とんでもないブームになってしまったわけですが」
「僕は、ブーム断固反対って言っているんです。」
「ブームになると、その作品自体やその世界観自体ではなく、」
「とにかく流行っているとかそういったほうで消費され、煽られ、さらに消費される。」
「もちろん本当に好きで、好んできいてくれている子もいるんですが」
「消費のほうに、次第にかき消されていく。」
「そうすると、好んでいる子の、その好んでいる気持ちにも悪影響してくる。」
「つまり純粋に楽しめなくなってくるんですね。」
「あとには、荒涼と、寒々とした、「ブーム終わりました」が残るだけです。」
「本当は、好んでくれている子が、ただその子とだんご三兄弟との関係を、結んでくれればいいわけです。」
「それが、長く、届けていく、本来の姿です。」
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