佐藤先生に教わったこと-#40
このnoteは、星功基が2003年〜2007年に慶應義塾大学佐藤雅彦研究室に在籍していたころに佐藤先生に教わったことを思い出しながら書いているものです。
今回は「トーン」について考察したいと思います。
トーンは表現方法論Ⅱの授業で教わった概念です。先生は「ある独特な世界観」と訳していました。そして「トーンは都度表現の最前線であって、ルールのように言語化できない領域を多分に含みます」とも。
そういう前置きがあった上で授業でもみた具体事例を少し見ていきたいと思います。
そして具体事例を列挙したあと考察します。
ちなみにこの考察は当時授業で教わったものではなく、文字通り星が勝手に現在考察しているものですので、あしからず。
(具体事例)
まずは、カローラⅡのCM。
小沢健二さんの
「カローラⅡに乗って〜、買い物に出かけたら〜、財布ないのに気づいて〜、そのままドライブー♪」
の歌にのせて、フランスなのか、素敵な女性がカローラⅡを運転にして街や草原を駆け抜けていきます。
いやぁ今見ても最高です。
ふたつ目は、先生の作品ではないですが、スパイク・ジョーンズのナイキのCM。
アガシとサンプラスがニューヨークなのか、突如街中でテニスをはじめ、最後、バスが突っ込んできて、ジャッジャッジャッとナイキのロゴが入って終わります。
カッコいい(感嘆)
3つ目は映像ではなく、文字が生むトーン。
川端康成の『雪国』
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』
「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」
という冒頭の書き出し。
うんん、いい。
(考察)
さて、これらの事例をうけて、トーンとはなんであるか。もちろん先生が定義している通り「ある独特な世界観」なわけですが、では、その世界の表現にはなんの効用があるのかについて考えてみたいと思います。
結論から言うと、トーンがある表現・体験には「想像が思わずおもむいてしまう」効用があるのではないか、そしてその「想像のおもむき」は、表現世界の体験をより豊かにし、ある種の読後感や期待感を生むのではないだろうかと考えています。
事例をもとに具体的に見ていきましょう。
まずカローラⅡのCM。
セットではない、フランスと思われる素敵な街並みのロケの世界、その世界にぴったりの女性。
そこに、小沢健二さんの「カローラⅡに乗って〜♪」という軽やかで飄々としつつ味わい深い歌声とメロディが流れ出す。
女性は買い物をしようとするけど財布を忘れてそのままドライブに出かけちゃう。気持ちよさそう。
あぁ、普段この女性はこんな生活をしているに違いないと想像がおもむき、しかもそのおもむく先の想像の世界はここではないどこかだけど間違いなくこの星の上にあり、共感できる生活臭がして、なんだかいい。
そして、そんな世界のそばにカローラⅡがあるというチラリ感。
そういうおもむきが出てきます。
そしてそのおもむきを支えているのが、
女性、街ロケ、日常の些細なドラマ、小沢健二さんの歌声。
これらの編み込みが、ある独特なトーンを生み、想像が思わずおもむいてしまう。
15秒とか30秒のテレビ画面という枠を超え、世界がふわっと広がるような気がする。
それがトーンである、と。
続いて、スパイク・ジョーンズ。
ザ・シティの喧騒、突然のサンプラス&アガシ、スピード感あるカメラワーク、何がはじまるんだ、テニス!プレイし始めた、熱狂、でもそれを破るトラック、ジャッジャッ
NIKE
え、え、なにこのゲリラで自由な喧騒の、グラフィティーのような、でもプロの最高のプレイが、アスファルトで展開されている世界、この世界、最高ー、ひゃー。
っていう。
この街、この世界っていったい。。。
そう、思わず、想像がおもむいてしまいます。
そして、おもむく先の世界は当たり前のようにカッコいい、と。
最後に、雪国と蜘蛛の糸。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
ここまでくると、もう読んで味わってくれという感じですが、一字一句無駄がなく、いきなり静かなうすら寒い雪国の世界へと引き込まれます。思わず想像がおもむいてしまいます。続きを読んでもっと味わいたくなります。
「ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。」
ある日の事でございます。
いきなりバツっと「ある日」に場面がきられる。
事でございます、御釈迦様は、という文体が、この世あらざる異世界へとバッと持っていかれる。
映像だけではなく、文字でもトーンは生める。なぜならポイントは想像のおもむきだからということがよくわかる2つの冒頭文です。
さて。
トーンの効用にはある種の読後感・期待感があると書きましたが、その先には、2次創作やサイドストーリーも生みやすいという性質があると思われます。なぜなら想像がおもむくからです。
「その表現を味わったあと、鑑賞者同士でサイドストーリーを対話できそうか。」
という問いかけを表現に対して行うことが、その表現にトーンがあるかのひとつの評価基準なのかもしれません。
トーンの効用の考察は以上です。
次のnoteでは、ではそんなトーンのある表現は、いかにしてつくれるのか、トーンの創造の考察をしてみたいと思います。
(それがつくれたら世話ないよというところでもありますが、考察を試みますので、お付き合いいただけましたら、幸いです。)
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