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「病気は神からの贈り物である」ってどういう意味?

病気やうつ病について書かれた本を読んでいると、よく、「病気は神からの贈り物です」とか、「うつ病は天からのギフトです」そして、「だから病気に感謝しましょう」とか、「病気になったことを喜びましょう」という主張を見かけます。

更には「うつ病になったことに感謝することが病気を治す必須条件です」という特殊な条件付けを見かけて驚いたこともあります。どういう理屈でその考えに至ったのが不思議でならないです。「病気に感謝する」のは病気を治すのに必要なことなのでしょうか。

私は現在うつ病の安定期で、今は薬は飲まなくても平気になりましたが、やはり私は「病気は神からの贈り物」とか、「病気に感謝しましょう」という気持ちにはなれていません。

なぜなら、病気になってすぐに死んでしまう人、うつ病になって自殺してしまう人だっています。病気でやりたいことができなくなり、人生を大きく路線変更せざるを得なくなる人もいます。

このように病気に悩まされている人に向かって「病気は天からの贈り物ですよ、感謝しましょう!」なんて言っても腹が立つだけじゃないでしょうか。

病気で生命を失った人にとっては、「病気が贈り物」だとしたら神から「死を与えられた」ということになってしまい、「死を与えてくれてありがとう」と思うことが大事なのでしょうか。

上述した「病気は神からの贈り物」という考え方は「病気を乗り越えた人」や「健康な人」のための言葉でしかないと思います。自分がそう思えるのならそれでいいのであって、他人に押し付ける考え方、言葉ではないと思います。

百歩譲って、「贈り物は贈り物でも、蓋を開ければ時限爆弾が入っていた」という表現なら納得できます。

病気は、ならなくて済むのであればならない方が有意義に過ごせますし、なったらなったでそこから建設的な手段を取ってより良い生活を目指せば良いというふうに考えています。

病気を悪いものだ、良いものだ、と善悪を判断するのではなく、起こってしまった現象だとして冷静に対処する方が大事だと思います。

「病気に感謝しましょう」というのは立派な決めつけであり、他人がとやかく言うことではありません。自分がかかった病気の意味や解釈は自分で築きあげるものです。

ポジティブな解釈だから正しい、とか、ネガティブな解釈だから間違っている、というジャッジではなく、病気に対する態度は個々人が決めることであって、他人が決めつけられることではありません。もちろん私のこの記事も誰かにこう考えなさいと言っているものではありません。ただ私はこう思うというだけです。

「病気はギフトである」というのは非常に言葉足らずです。例えばトラウマに対する身体反応はトラウマ的な状況では生き残るために必要だった適応的な反応ですが、危機が去った後も同じ反応をしてしまうと生きづらくなり、不適応な反応となります。

だからトラウマ反応は自分を守るための身体反応だとちゃんと説明すれば、その身体反応は悪いものではなく、自分の体を守ってくれた素晴らしい反応だと捉えることができます。

おそらく私は「病気に感謝」という言葉に抵抗感があるのですが、「自分の身を守るための身体反応」には感謝できます。強大なストレスに対して身を守るために緊張するとか、身を潜めるという強い身体反応はストレスを避けるためにその場では大事なことです。しかし時間が経って安全になっているにも関わらず、トラウマ的な体験と同じような身体反応を繰り返すのは不適応で生きづらくなるので、やはり病気には感謝するものではないと考えます。

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