アートをみたくないけど、みたい。
久しぶりになるけど、書いてみようと思う。
今僕は、二つのことで悩んでいる。
アートをみたい。アートをみたくない。この二つだ。
去年の夏に展覧会の企画をした時からめっきりアートにハマってしまっている。今では空いてる時間があればアート好きな友人を誘って展覧会や美術館にいくことが多い。週2くらいではなんだかんだ行ってるんじゃないかな。美術系の記事とかもたくさん読むし、本もたくさん読む。
でも学生時代は全く美術の世界なんて知らなかったし、むしろ絵は下手だし成績は5も取ったことがなかったからどちらというと嫌いな方であった。ただ用語を覚えて提出物を出すものだとすら感じていたくらいだ。
しかしアートをみていくうちに、自分の好きなアートがだんだんわかってきた。その一つがポップアート。日常生活にリンクしやすいというのが好きなんだと思う。小学生の時の自分を思い出すんだよね。子供にタイムスリップできる。おもちゃとか、ゲームとかに熱中していた時の自分。ああいうキャラクターに新しく出会えると思うと楽しくなってしまう。作品を見るとカッコイイとか可愛いとか。そんな感情を素直に抱けるのだ。
別のジャンルも好きだ。社会問題に切り込むようなアートや、自己表現としてのアート、視覚的に美しいアート、デジタルを使ったアート、インスタ映えするようなアート、命の重さを考えさせられるアート、概念を広げてくれるようなアート。
しかしながら、アートをみたくない。という気持ちが生まれてきている。なぜなんだろう。ワケを考えてみた。
消費している感を得てしまったからだと思っている。アートにはまりたての頃は、作品に対しての知識やアーティストへの知識が全くないから素直に絵だけをみていたのだと思う。そして絵だけを考えていたのだと思う。
しかし、最近はアーティストのことも考えてしまっている。近頃はアーティストさんにお話を伺える機会も多くて、どれだけ時間をかけて制作しているのかとか、作品に込めた想いの存在を知ってしまったのだ。
端的に言うと、重い。アーティストが多くの時間や思考を割いて作り上げた作品を軽い気持ちでみてしまっていいのかと思うのだ。例えて言うと、運動会の出し物をたくさん見る感覚だ。汗水垂らして練習してきたものを間髪入れずに見るような感覚。これはあんまり共感してもらえなさそうだけど。
だから「アート作品=尊い」という方程式が成り立ってしまったのだ。昔では思いもしないことが起きている。そして心の中では尊いものに軽々しく近寄っていいのかという葛藤が起きている。宮の宝殿に土足で入るような感覚。それがアートをみることで消費感を得ているワケだと思う。
でも芸術という分野以外にも時間や思考を割いて何かを頑張っている人がいる中で、なぜ僕はアートに関して「尊さ」をかんじているのだろう。それはじぶんに、無から有を作る人に憧れがあるからだと思う。アーティスト自身が疑問に思ったことや、好きなことを形にしている。単純にすげえと思う。
これはあるアートコレクターさんから聞いたことだけど、コレクターは何者になりたい人が多いということだ。何もないイメージから他人に作品として伝えることがそれだけ希少なことだという裏付けだと思う。
だからまずは一歩目としてここに自分の思っていることを形とするためにnoteに書いています。
そして、こんなにも魅力的なアート、アーティストをたくさん紹介しようとも思っています。そんなワケでYouTubeという手段も使うことにしました。
登録していただけると嬉しいです。
これからも、
アートをみたい。アートをみたくない。
という葛藤は起きると思います。
これからも言葉にして伝えようと思うので、
見守っていただけると嬉しいです。
ありがとうございました。