2011.1.1
不思議な夢を見た。
眼前がまばゆい光に包まれている。
そこにひとつの影。
よく見ると橙色の袈裟を着た、修行僧。
私に英語で何か語りかけている。
・・・。
・・・ん?なんだって??
・・・。
STRONG MIND
GOOD HEALTH
UNITY・・・。
・・・・・・。
・・・・・・。
ん・・・あ、夢か。
窓の外はどうやら雪景色に変わったらしい。
寝ぼけ眼で、曇りガラスの水滴を拭う。
昨日とは別世界。
2011年、新しい一年のはじまりだ。
それにしても、不思議な夢を見た。
昨夜の修行僧の言葉が頭の奥に響く。
ストロング・マインド。
グッド・ヘルス。
ユニティ・・・か。
強い精神力、そして健康な肉体。
いずれもこの後、登頂するために自分に必要な要素だ。
きっとチベット仏教の神様のアドバイスに違いない。
でも、私はこのとき最後のユニティ(団結・結束)という言葉だけ、どうしても自分の登山に結びつかなかった。
ニマさん、ラクパさん、そしてミンマと簡単な新年の挨拶を済ませる。
特にこれといって正月っぽいイベントもない。
当たり前だ、ヒマラヤに来ているのだから。
おせちも雑煮もなんにもない。
だけど、気持ちはなんだかリフレッシュされた気がした。
ニマさんは、昨夜ドイツ人女性と仲良くなり、酒を浴びながら大晦日のダンスを楽しんだ際、どこかに太ももを強打したらしい。
しきりに「あー、いてーなチキショウ」とぼやいていた。
体調はというと、昨日よりは若干マシ・・・な気がする程度。
相変わらず、息切れ、動悸激しく、体が鉛のように重い。
なんとかニマさんから今後の行程のオーケーをもらい、いざ歩いてみるが、辛いことには変わりはなかった。
前に進むことに必死すぎて、この日の午前中はあまり記憶がない。
途中のパンボチェ村(3,930m)にラクパさんのストア(荷物置き場)があり、そこに着いたぐらいでようやく我に返った。
ストアでポカルデ登頂のための荷物をパッキングしなおし、ここでしばらく休息。
食欲はなかったが、蒸かしたジャガイモを食べれるだけ口に放り込んだ。
ここ二日間で落ちた体力を取り戻すには、食べるしかなかったから。
BGMはオム・マニ・ペメ・フム(Om・Mani・ Pedme・Hum)と繰り返される、チベット仏教のマントラ(真言)のCD。
心の奥深くに染み渡る、不思議な言葉だ。
目を閉じて聴いていると、瞼の裏の暗闇に、光が満ち溢れるような感覚を得て、安らかな気持ちになった。
ちなみに、オム(Om)とは私たちの不浄な身体や言葉、思考のことでもあり、また、お釈迦様の身体や言葉、思考を表している。
お釈迦様の言葉によると、悟りの境地に達すると、私たちの不浄な言葉や身体、思考も変わることが出来るということらしい。
マニ(Mani)は、宝石を意味する真言で、悟りを開くための要素である慈悲、他者への思いやり、そして秩序を表す。
ペメ(PADME)は蓮のことで、人間を矛盾から救う知恵の本質を表す真言である。
フム(Hum)は、知恵と秩序がフィットすることで到達する境地を指す。
マントラループに心酔しながら、ダイニングスペースで横になったまま、少しずつ戻りつつある活力を指先に感じていた頃、ふと小屋のドアが開いた。
2人の日本人と思しきカップルが入ってきた。
声をかけると、やはり日本の方だった。
カラパタールからの帰路とのこと。
いかにも病み上がりな体調の悪い私を心配し、正露丸を分けてくれた。
これが効いた。
正露丸とは、なんと素晴らしい薬なのか。
正露丸の起源は、1830年。ドイツ人の化学者カール・ライヘンバッハがヨーロッパブナの木から木クレオソートを蒸留したことに始まる。
それから181年後の2011年、カールに助けられた私のお腹は、この後見違えるほどの復活を遂げた。
それとともに、緩みっぱなしだった肛門括約筋にも力が戻った。
再びトレッキング開始。
普通の体調ならば、変わりゆく景色と日本では味わえない高度を楽しみながらの行程。
だが、正露丸のおかげとはいえ未だ万全ではない私は、とにかく前だけを見据えて歩みを進めた。
果てしなく長い道のり。
歩けど、歩けど、たどり着かない。
後どれだけ歩けば、今日が終わるのか・・・。
心が折れそうだ。
そんな杞憂を、ラクパさんの突然の一言が一瞬で掻き消した。
「コウキサン、ルック!ゼア・イズ・ポカルデ!」
遥か遠くに姿を現した山塊。
そそり立った岩稜から、地上に放たれた膨大なエネルギーを感じる。
おぉぉぉ、ポカルデ・・・・。
・・・会いたかったよ。
思わず口にした、心から絞り出された一声だった。
厚く濃い灰色に覆われた大地の隆起は、確かにそこに存在した。
つづく