千夜一夜物語(アラビアンナイト) 後
なんだこりゃー……
とりあえず船室のベッドに倒れ込んでボンヤリ天井を眺めてみた。
ゆっくりと思い出す。
そう。私は確かあのバンの中をにゅっと覗き込んだんだっけ。
そしたら誰もいなくてありゃ?と思ったらいきなり後頭部をぶん殴られて…そこから記憶がない。とりあえず疑いようのない事実として、どうも私は拉致されたらしい。アラブ系なんちゃらの過激派に。
「んな、アホな…」
目を瞑ってこれからの事を考える。スマホも持ってないし、財布…あらら財布もない。ついでに言うと発泡酒と半分のパピコが入った袋もない。どうしよう。いや発泡酒はいいんだけど親とか心配するよ。とは言え親が気付くのはいつになるのか。お盆に帰った時に
「んじゃ正月にまたねっ!」
なんて家を出てきてから連絡もしてない。
当然正月まで何かない限り連絡もないだろう。ほんと、連絡不精てやつはいけないね。
困ったなぁ。
コン、コン。
お父さんやお母さん、トイプードルのまさおの顔を思い浮かべてウルウルしてると扉がノックされ、アシュリが顔を出した。
アシュリは私を拉致した集団のリーダーで阿部寛に似ている。阿部寛はあの身長だから似合う顔だ、と思っていたけど175センチくらいでも案外悪くない事がわかった。バカか私は。
「さてあなたには我々とともに母国まで来ていただきます。その後、日本政府に向けて声明を出します。その時までの安全は保証しますのでどうか楽になさって下さい。」
「はぁ…」
「日本政府からの回答があるまで手荒な真似は致しません。とりあえずは楽に。あなたのようなお美しい方に乱暴な手段を取った事、謝罪致します。」
アシュリはペコッと頭を下げる。
過激派って言うから拷問とかされると思ってビビっていたけど、どうもアシュリは良い人みたいだ。お美しいだって。でしし。
もう非日常過ぎて頭が麻痺してしまったのか、アシュリのお世辞を真っ向から喜ぶついでに、頭のほんの片隅にあった性奴隷となってアシュリの慰み者になる哀れなあたし…の妄想をサッと心のゴミ箱にしまった。しかし酷い妄想だ、私はいつから隠れ肉食獣と化してしまったのか。
馬鹿な妄想をしている私にアシュリは色々と話してくれた。
国のこと。思想のこと。失くした家族の事。爆撃を受けた故郷のこと、瓦礫の下敷きになって亡くなった恋人のこと。政治のこと。隊員たちのこと。隊員たちの家族のこと。世界のこと。
そのどれもが日本でのほほんと生きている私の想像を遥かに超えたもので、まるで映画の中に迷い込んだみたいな不思議な気分になる。
私の適応力の早さなのか遅さなのか、アシュリの語る話に、特に家族と恋人の話に、私は大声で泣いてしまっていた。
可哀想なアシュリ。可哀想な隊員さんたち。
どんな気分なのだろう。極めて普通で、平凡で幸せな日常に突如ミサイルが落ちてくる気持ち。ふと見上げた空が真っ黒な煙で覆われている気持ち。
なんだかこの世はおかしいよ。
ワンワンと泣く私の肩を、アシュリがそっと抱いてくれた。
ふと横を見ると優しげなアシュリの顔が目と鼻の先。一気に心臓の鼓動が強くなっていくのがわかった。
そ、そ、そんなつもりじゃなかったけどこここれはまさか。そう言う展開か、そんなのアリか。映画では欠かせないラブシーン。主演アシュリヒロイン私。お、お風呂入っといてよかった。く、くるか。くるか寛。もといアシュリ。ああでもそんな。こんなシュチュエーション。ダメよそんなアシュリったら。あわわわわ。
心の中は完全に学級崩壊した小学4年生のクラスが如く大狂乱、カオスの極致のような状態であったがそこは私も30過ぎたレイディ。
潤んだ瞳でそっと目を瞑った。
さあ。さあこい。く、唇突き出さない方がいいよね、ああきっとキスしたらあの顎髭がチクチク痛いんだ。そんで私は、いたいよ、なんてそっとその髭を撫でるの。そしたらそしたら
アシュリは私の肩に手を掛けると、グッと私の体をベッドへ強く、しかし優しく押し倒し。
ああ。さすが外国人は違うわ。なんて大胆なの。
布団を肩までかけて、おやすみなさい、と言って出ていった。ふと目を開けてみる。電気も消してくれてた。
「…………。」
暗くなった部屋で、私ははぁー…と息をつく。ね。もう、さ。あのー…さ。
いや、そうね。そうよ。私は人質ですからね。そんなのないですよね。なんだろうこのなんか盛大に裏切られた感覚。アニメが実写化された映画のような。もっとひどいか。てかなんだそれ。あぁもう。返せよ。なんか知らんが返せ。はぁもう、いいや。あとは野となれ山となれー。
誰に聞かせるわけでもなく、おやすみなさーい!と無駄にでかい声で叫んで宙空を睨みつけたあと、私はもう一度目を閉じた。
…まるでほんとに映画の世界に迷い込んだみたい…
意識が落ちる寸前、私はなんだか日常が変わっていく予感で少しワクワクしていたのを覚えている。
ちょっとバイオレンスだけど、こんな日常の変わり方どんなお姫様だって経験してない。
いつか、私の話を誰か描いてくれてそれが映画になっちゃったりするのかな…
そして翌朝。起きた私が兵士達に連れられて何処かの港へ降りた瞬間、これまた同じような格好の兵士達がどこかからわらわらと現れていきなり銃撃戦が始まった。
アシュリは私に恋人の形見のペンダントを渡すと、敵に突っ込んでいった。キスとかはなかった。
呆然とする私にCIAのクリスと名乗る白人金髪日本語ペラペラ超絶イケメンが話しかけて来て、もう安全だからヘリに乗ってくれとのこと。
私たちの乗ったヘリは飛び立ってすぐにロケットみたいなので後部テールがやられて、私はクリスと共にパラシュートで空を飛んだ。
近くの島に降り立った私達はとりあえず砂浜に枝でsosを作った。電波が届かないだとか装備が故障して連絡が取れない、とか。
回収チームが来るまでの辛抱だ、と言われて雨風凌ぐために入った森の中で原住民に襲われて、クリスは私を逃す為に囮になって走っていった。去り際にこれを国のスーザンの元へ、と指輪を受け取った。キスとかはなかった。
砂浜まで逃げた私はちょうど真上を通り去りかけるヘリにぶんぶん手を振って、保護された。彼らはチリ人の航空会社の人で空図の為にここら辺飛んでたとか言ってた。あ、日本語出来るガルシアさんて日系3世がいてとてもかっこよかった。
そして空図の話は嘘だった。彼等は本当はチャ・バシラと言う革命家の元集まったゲリラ達で、独裁政権を倒す為の作戦行動中らしかった。ついでにそのガルシアがチャ・バシラだった。
私達は森を駆け抜け、マテ茶を回し飲み(本場のやつは苦かった)、倒れた仲間の犠牲に涙し、遂に独裁者バティストゥータを倒し、勝ち鬨を上げた。
私はパジャマの戦女神と讃えられ、圧政の下苦しんでいた皆は、勝利の宴に酔いしれた。
そろそろ帰らなきゃ。そう言った私にチャ・バシラことガルシアは哀しそうに笑うと、首から下げたネックレスを着けてくれた。キスとかはなかった。
そして日本に帰る飛行機はハイジャックされ、独裁政権の残党と革命を成し遂げた社会主義派と王政復活を掲げた第3勢力が戦女神の私を奪い合い、古代の王様の血を引く坊やは実は私の隣の席の可愛らしい金髪の坊やでたまたま乗り合わせた中国秘伝の占星術師のお婆さんがーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
ーー!ーーー!!ーーー。ーーーーー。
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ーーーーー。
ーーー。
そしてふと気がつくと私は家にいた。キョロキョロ見渡せばいつもと同じ、すっかり見慣れた私の部屋で、床には発泡酒の缶が散らばっていて、テレビはつけっぱなしだった。
ぼんやり見上げた時計はお昼の2時を指していた。窓から入ってくる日差しが眩しく、思わずうっと目を細める。
夢…?だったのかな…?
…夢?…夢。夢。夢。ふふふ。夢。ふふふふ。何と馬鹿な夢を見たものだろう。ふふふふふ。ははははは。バッカ馬鹿しい。
1人しかいない部屋で、お腹を抱えて足をジタバタさせて笑ってしまった。
なんだ。なんだなんだ、馬鹿らしい。私の妄想癖もいよいよ病気だ。とんでもない。映画の世界にいるみたい、じゃねーよ何本の映画にまとめて出てんだああおかしい。馬鹿じゃないのあー涙出る。あははははは。
ひとしきり笑うと、とりあえず今日は仕事を休む気になった。
ダメだ、どう考えても私は疲れ過ぎてる。映画でも見てゆっくり疲れを取ろう。ただしアラジンは無し。また魔法でどっか連れてかれちゃうからね。なーんて。あっはっははは!
とりあえず着替えようと泥でベトベトに汚れきったパジャマを脱いで洗濯カゴにぶち込み、ベッドの横、サイドテーブルにごちゃっと山積みの、買った覚えのないペンダントや指輪や勾玉や数珠や宝石やネックレスの数々を掻き分けて財布を見つけ出して、ポケットに突っ込む。
あぁ、買い出しの前に映画を決めるか。
秘蔵のDVDボックスをゆっくりと吟味して、ふと1本の映画が目に止まった。
うん、たまにはこんなのいいかも。
「やっぱり時間のある休日はシチリアン・マフィアの世界よねー」
ゴッドファーザーのDVDをセットして、とりあえず酒とつまみを買いに外へ出た。
「んん?」
ジャーキーをかじりながら発泡酒が入ったコンビニ袋をぶらんぶらん振り回し、鼻歌混じりに帰路を歩いている時だった。
路肩に後部ドアを開けたまま路上駐車してあるクリーム色のワゴンが目に入った。
完
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