年輪
口の中に血の味が広がる。
左腕を伝う血液を舌で受け、肘の辺りから自分の腕を見上げた。青白い、死んだ魚の腹のような色をした細長い腕。その、手首より少し下の裂け目から、この赤い水は湧き出している。それが幾筋かに分かれながら、ちろちろと流れ落ちている。
流れる途中で、いくつもの傷痕をまたいでくる。小さく隆起したそれが連なる様は、地層の断面を見ているようで私は気に入っていた。小さな赤い流れはこの隆起で、度々滞る。そしてすぐに決壊する。それがまた細かい筋に分かれてはらはらと流れる。それを眺める度、私は雨上がり、道路脇の岩壁を滑る小さな流れを想像した。
大地は、目に見えて歳をとる。私はそれを羨ましいと思っていた。降り積もった土砂が月日を押し潰し、それが層を成す。その層の中に、記憶を克明に残している。水底に沈んでいたことや、断たれるような痛み。自分たちの記憶を、幾星霜の先までしっかりと伝えることができる。私はそれが羨ましい。言葉よりも雄弁に語る、その生々しい痕が。
あるいは、樹が羨ましい。あれもその断面で万余の言葉を補う。ただ黙々と、己の身体に遺書を刻み続ける。文才を評価されるものほど、多くの苦痛を経験している。その文字が苦悩に滲み、歪みが大きいほど、人々を強く魅了する。傷だらけの死に顔を見ながら、私たちは何の後ろめたさもなく、美しいねなんて言ってみたりする。そして好き勝手にその生涯を想像して、好き勝手に感動したりする。その苦痛は無駄にならない。
私も年輪が欲しいと思った。
ただ老いていくだけの肉体。意味のない欠落と再生を繰り返し、やがて朽ちていく髪。伸びなくなった背と同じように、ちっとも成長しないこの心。積みあがっていくもののない、この冗長な時間の連続。全てが無意味に思えて仕方なかった。
だから、私は自分で年輪を刻み始めた。目の覚めるような鮮やかな痛みは、積み重ねた苦しみは、私に確実に残っていく。肌色の樹皮から流れ出す赤い蜜に口をつける。そうしていると、自分が虫にでもなったような気になる。樹液に群がる虫たちのように、舌で少しずつ、その生臭い液体を舐める。それは私の身体をまた循環していく、これで私の一年の苦痛は無駄にならない。そう思えるのだ。
目立たないよう、上腕から刻み始めた年輪は、肘を越え、数年で手首に届くだろう。その時のことを想像する。最期の瞬間は、やはり特別がいい。
きっと樹海でやろう。私が憧れた大樹に並びたかった。深く、暗い、それでいて妙に鮮やかな緑に囲まれながら、私はその幹に縄をかけて、枝の一部となるのだ。最後の鮮血が映えるように、白いワンピースを着ていこう。暗い森に一本の白枝、ぬらぬら光る赤、そのコントラストは美しいだろう。私はそうやって、美そのものになる。
枯れ枝には虫がつくだろう。私がそうしたように、虫たちは舌を伸ばして蜜をすする。落ちた血は苔に染み込む。滴る赤は、無駄にはならない。やがて朽木を虫たちが食む。散った破片が森を育む。私だったものが、たくさんの生き物を包む。私は、あの美しい森になるのだ。
そうなる前に誰か見つけるだろうか。その時、年輪を見るだろうか。私が語らなかった言葉を、言えなかった全てを、そこに見るだろうか。憐れんで欲しいのではない。ただ、私たちが木目を見てそうするように、美しいとだけ思って欲しい。そうであればいい。
舌先の鉄の味が鼻の奥をつく。枯れた赤を拭き取ると、新しい傷は、じんじんと響くように痛んだ。それはリズムに合わせるように、一つずつ、段を上がるようにして古い層まで波及していく。遡ってきた痛みが最古の層を越えて、やがて心音に混ざった時、それが何のリズムなのかを理解した。
痛みも心音も鳴りやむ気配はなかった。その時一雫、流れたものが肌を伝って、顎の先から床へ落ちていった。
本、映画、音楽など、数々の先達への授業料とし、芸の肥やしといたします。